平成図書館行政史? 〜指定管理者図書館はかくして生まれたり〜

前回エントリで、指定管理者制度社会教育施設に導入することは、法的に“ありえない”ことを申し述べました。

なぜ「盲点」となったか?

このような重大な局面で、なぜ判断をあやまり、「盲点」になってしまったのでしょうか。まぁ、日本図書館協会とか現役司書あたりの意識は前述のとおりでありますが、教育行政のエキスパートである、文部科学省のエリート官僚・テクノクラートが問題を“読み間違えてしまった”のか、疑問は残ります。

捨てる神あれば拾う神あり、と申しますが、前回のエントリ「これはどうですか」氏がよせたコメント
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo2/siryou/03120101/001.htm
平成15年12月 第26回 生涯学習分科会
文部科学省内のページです

に、ヒントがあります。
この中の

生涯学習分科会(第26回)議事要旨
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo2/siryou/03120101.htm

この中にある、

・公民館、図書館、博物館の民間への管理委託について
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo2/siryou/03120101/001.htm


に、ボタンの掛け違いを発見しました。この文中

公民館、図書館、博物館も公の施設として「指定管理者制度」の対象となるが、これまで文部科学省は、法律上必置が求められている職員について、社会教育法等の規定を踏まえ、教育委員会の任命が必要であるとの立場をとってきたところである。

そもそも、この時点で“公民館、図書館、博物館も公の施設として「指定管理者制度」の対象”としていることが誤りなのは前回エントリに書いたとおりです。この法解釈を置き去りにしたまま、この業界にありがちなパターンとして「職員問題」に“議論のすりかえ”を図っているところに図書館界の体質が垣間見ることができます。
 一方、この文書には、

今般、地域再生推進本部(10月24日内閣に設置。本部長:小泉内閣総理大臣)が、地方自治体を対象に行った民間委託の阻害要因についての調査によると、公民館、図書館、博物館に関する阻害要因として「必置職員に対する教育委員会の任命」が挙げられてきている(別紙参照)。

この中で、「別紙」というのが、こちら。

・公民館、図書館、博物館の民間への管理委託に対する 地方公共団体からの指摘事項(抜粋)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo2/siryou/03120101/001/001.htm

これによると、

図書館は、図書館法第13条により館長を置くことといった規定があるため、館長を含めた包括的な管理委託ができない。(銚子市志木市静岡市松本市高山市 等)

を理由とし、ここでも(!)職員問題を理由としています。
決定的なのは、

社会教育施設における指定管理者制度について
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo2/siryou/03120101/001/003.htm

ここの内容・認識ですね。

指定管理者制度を規定した*1地方自治法は一般法であるため、社会教育法第23条に規定されている「公民館の運営方針」や図書館法第17条に規定されている「入館料その他図書館資料の利用に対する無償規定」等の個別の規定については、引続き優先的に適用。

と、「一般法=地方自治法」より「特別法=社会教育法・図書館法」優先の原則を明らかにしたことはほめてもいいでしょう。でも、ここでも「職員問題」に拘泥するあまり、「設置主体」の問題がおろそかになっています。
で、その結果として…

以上のような観点から、公民館、図書館、博物館の民間への管理委託に関し、文部科学省は、11月21日に開催された経済財政諮問会議において、以下のとおり説明を行ったところである。

地方自治法改正により指定管理者制度が導入されたことを受け、今後は館長業務を含めた全面的な民間委託が可能であることをあらためて明確に周知

このときの説明資料

・河村臨時議員提出資料
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/minutes/2003/1121/item1.pdf

や、当日の議事録

経済財政諮問会議(平成15年第24回)
 http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/minutes/2003/1121/minutes_s.pdf

文部科学省が、指定管理者制度に「お墨付き」を与えた瞬間です。この「周知」以降、図書館における指定管理者論争は、労働問題・所蔵資料・仕様書から選定までの手続き、といったように、細分化され、感情的な反発、民間に対する偏見、法的知識・行政学を欠いた議論へと“発展”してしまい、あるいは「図書館の自由」などのトピックからの戦術レベルでの討論に矮小化して結果として図書館を支える法制度からみた指定管理者の議論は、ほとんど「空発・不発」のまま、今日に至ったということです。
ただし、議論が不毛におわってしまったことは、上記のとおり文部科学省が疑義のあるジャッジをしてしまったことで、「図書館の指定管理」が既成事実化してしまい、結果として法制度の根本から議論する機会が失われてしまったことは大きな損失であったといってもよいでしょう。

劇場型政治がやったこと

誤りを指摘・糾弾することはたやすいことです。
ただし、ことここに至ってしまったのには、それなりの事情があるはずなのです。これを酌むことなく、“あやまった判断”と決め付けるだけでは何の儲けにもならないし、当時の関係者も浮かばれません。
この分科会とその周辺を見渡すと、当時のやむにやまれぬ事情三点をうかがうことができます。

拙速なる指定管理者制度の進展

「指定管理者」を制度化した、地方自治法の改正が平成15年6月18日法律第九一号で可決され、平成15年政令第374号で平成15年9月2日から施行されてから、地域再生推進本部(10月24日内閣に設置。本部長:小泉内閣総理大臣)が、「民間委託の阻害要因」という批判・催促的な言動を起こし、それを受けて第24回経済財政諮問会議で、文部科学省が「地方自治法改正により指定管理者制度が導入されたことを受け、今後は館長業務を含めた全面的な民間委託が可能であることをあらためて明確に周知」という見解を出したのが11月21日のこと。
官民ともにノウハウのない段階から、3か月に満たない段階で、指定管理者の促進策と問題点が整理されてしまったのは、内閣総理大臣による「政治力」がモノをいってます。

予算編成とセット議論

前述の、経済財政諮問会議の流れ

・平成15年会議結果
 http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/minutes/2003/index.html

から流れを追いますと、
第22回会議(平成15年10月17日)で、

・公民館、図書館、博物館の民間への管理委託に対する 地方公共団体からの指摘事項(抜粋)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo2/siryou/03120101/001/001.htm

が、報告され、
地方自治法改正により指定管理者制度が導入されたことを受け、今後は館長業務を含めた全面的な民間委託が可能であることをあらためて明確に周知”を文部科学大臣が表明したのが、第24回会議(平成15年11月21日)です。これは表舞台ではまだですがすでに水面下で予算編成にかかる“攻防”“駆け引き”が始まっているころです。
「指定管理者を導入せざる省庁は食う(予算配分)べからず」
という重圧があったことも想像に難くありません。
あと、余談ですが、“住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設である公の施設について、民間事業者等が有するノウハウを活用することにより、住民サービスの質の向上を図っていくことで、施設の設置の目的を効果的に達成するため”とかイカす美辞麗句で語られている「指定管理者制度」が、一連の経済諮問会議では、単なるアウトソーシングの手段としてしか登場していないのにはビックリです。

「聖域なき構造改革」の「聖域」とは

当時の政権は「小泉劇場」と称される小泉内閣です。「劇場内閣」とは「劇的=パフォーマンス=人気取り」に走りがちです。
先の「拙速な流れ」とはまさに奔流といってもいいでしょう。
小泉内閣は「聖域なき構造改革」をブチあげました。このフレーズを熱狂的に支持した国民も多いのですが、ここでの「聖域」とはなにをさすのか、ということですね。多くの国民は、ここでいう「聖域」を利権・既得権と考えました。だからこそ選挙で圧勝できたのかもしれません。
「聖域」には、たしかに利権・既得権・しがらみのようなものもあったでしょう。ただし小泉改革のいう「聖域」とは法制度・法体系も含んでいた、ともいえます。
「民営化」「規制緩和」とうのは「小さな政府」の政策の柱であることは確かです。また、その理論には一定の合理性・合目的性があることは認めざるをえません。
ただし、「規制緩和」の対象となる「規制」には、制定当初になんらかの目的・理念があって設けられたことはいうまでもないことです。したがって、それを緩和とか撤廃するには、その規制のもつ意義や意味合いなどを、今日的状況にあわせて考え、見直しなりアップ・トゥ・デートがされなければならないことです。

法を「骨抜き」する

で、「規制」となる法令について、冷静な議論の末、「見直し」等が求められた場合、本来ならば法令で定めるべきでしょう。これならば議会の議決といった「民主的手続き」を経て行なわれ、「告示」等で可視化されるべきでしょう。
ただし“拙速を尊ぶ”体制では、議論も経ず、かなり無理な解釈でこれを有名無実化してしまおうとするのです。いわば「骨抜き」ですね。
代表的な骨抜きの例をあげましょう。
先の総務省通知で「特別法」があることを理由に「適用しない」例とて公示された「道路法」でも国土交通省は、「指定管理者が行うことができる道路の管理の範囲」として、

行政判断を伴う事務(災害対応、計画策定及び工事発注等)及び行政権の行使を伴う事務(占用許可、監督処分等)以外の事務(清掃、除草、単なる料金の徴収業務等で定型的な行為に該当するもの等)であって、各自治体の条例において明確に範囲を定められたもの。(これらを指定管理者に包括的に委託することは可)
※行政判断を伴う事務及び行政権の行使を伴う事務(占用許可、監督処分等)は、道路管理者が行う。*2

という、有様です。
それでも、「道路族」の力を背景にわたりあった国土交通省は、「線引き」をすることができただけマシ、ともいえます。
その点、図書館=文部科学省はまったくの「無条件降伏」です。

ポピュリズムが産んだ「地方分権?」

つまり、戦後、「知る権利」「学習権」を通じて民主主義に貢献することを使命付けられた公立図書館は、皮肉にも政治が民衆主義から劇場型政治ポピュリズムへと変質したとき、その屋台骨をゆるがす事態に直面した、というなんとも皮肉な結論になってしまいましたね。
同時に、

  • 民主主義と法治主義は両立しますが、ポリュリズムと法治主義は相容れないこと
  • 劇場内閣は“激情内閣”である
  • 「小さな政府」は「無政府主義」に似る

ことを考えさせられます。
もうひとつ、小泉政権のキーワードですが、

がひとつのテーマではありますが、この二点を実現しようとした場合、「小さな政府」の実現はともかく、権限移譲とは事務を移譲することですから、「大きな地方自治体」ができてしまう、これはあまり意味がない。
そこで

  • 官から民へ

という発想が出ます。それをおしつける方策が
「簡素で効率的な政府を実現するための行政改革の推進に関する法律」
です。
同法では、

第五十五条  政府は、平成二十二年四月一日におけるすべての地方公共団体を通じた地方公務員の総数が平成十七年四月一日における当該数からその千分の四十六に相当する数以上の純減をさせたものとなるよう、地方公共団体に対し、職員数の厳格な管理を要請するとともに、必要な助言その他の協力を行うものとする。
2  政府は、前項の規定の趣旨に照らして、地方公務員の配置に関し国が定める基準を見直すほか、地方公共団体の事務及び事業に係る施策については、地方公務員の増員をもたらすことのないよう努めるものとする。
3  政府及び地方公共団体は、公立学校の教職員(公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律 (昭和三十三年法律第百十六号)第二条第三項 に規定する教職員及び公立高等学校の適正配置及び教職員定数の標準等に関する法律 (昭和三十六年法律第百八十八号)第二条第一項 に規定する教職員をいう。)その他の職員の総数について、児童及び生徒の減少に見合う数を上回る数の純減をさせるため必要な措置を講ずるものとする。
4  地方公共団体は、地方分権の進展に伴い、より自主的かつ主体的に行政改革を推進する必要があることに留意しつつ、その事務及び事業の必要性の有無及び実施主体の在り方について事務及び事業の内容及び性質に応じた分類、整理等の仕分けを踏まえた検討を行うとともに、職員数を厳格に管理するものとする。
5  地方公共団体は、公立の大学及び地方公営企業について、組織形態の在り方を見直し、公立大学法人地方独立行政法人法 (平成十五年法律第百十八号)第六十八条第一項 に規定する公立大学法人をいう。以下この項において同じ。)又は一般地方独立行政法人(同法第五十五条 に規定する一般地方独立行政法人をいい、公立大学法人を除く。)その他の法人への移行を推進するものとする。


地方公共団体公務員の定数削減、公立大学の法人化です。
この法律が「官製ワーキングプア」とよばれる劣悪な条件での非常勤図書館員雇用、指定管理者制度の「活用」へと「誘導」していくのです。
この法をみると「地方分権」とは全くの名ばかりで、一種の強迫めいたものを感じさせます。
やれやれ…

過去は過去、そして今は?

以上、本来は「指定管理者」として“ありえなかった”はずの「公立図書館」が“なってしまった”いきさつを推論してきました。
私は、行政学・法令に照らして、公立図書館を指定管理者に委ねるということは、やはり適法ではないと改めて主張します。
ただし、私自身としては、現に存在する指定管理者図書館を否定するつもりはありません。その理由は5つ。

  1. 指定管理者制度が開始され、10年近くが経過し指定管理者図書館も住民に親しまれ根付いた観がある。これを認めることが自然な流れであること
  2. いずれの指定管理者図書館も、地方自治法に基づき条例制定等必要な手続き・手順をふんでいること(と思う=希望的観測)
  3. 千代田区に代表されるように、指定管理者による公立図書館が、従来の公立図書館にはない新機軸・サービスを打ち出し、図書館界を活気づけていること
  4. 労働・雇用について課題は残るものの、まがりなりにも指定管理者が「司書」配置を進めていることから、司書職普及率に貢献していること。
  5. 図書館界全体、わけてもオピニオン・リーダーたる日本図書館協会・図書館問題研究会等が、地方自治法・社会教育法など指定管理者制度と周辺の法令知識が十分でなく“なじまない論”に徹し、疑義を問題提起しなかったという「不作為の責任」があること

日本図書館協会幹部は説教部屋へ!

ここにいたってから、いまさら「戦犯」をさがすことは、建設的ではありません。
ですが、日本図書館協会の言動は反省すべきことが多いです。少なくとも、以前、住基法での図書館雑誌投稿を“門前払い”された経験をもつ私からみると、図書館雑誌編集部の法解釈能力は義務教育以下です。
これまでの日本図書館協会

・公立図書館の指定管理者制度について
 http://www.jla.or.jp/demand/tabid/78/Default.aspx?itemid=531

いわゆる「なじまない論」は、法令とか地方行政について義務教育以下の知識・読解力しかない方々によるものである、というなんともむなしい結果になるわけですね。
これらの意見・声明により、図書館界の重鎮の権威が失墜し、冷静で合理的な議論が阻まれ、また現役司書のモラルハザードを生んでしまっています。
と、同時に、“公立図書館員とそこで働く司書の努力(先見性・進取性・IT乗り遅れ)が不足していた”とする「自虐的図書館史観」も、やめたほうがいいし、“公立図書館だけが狙い撃ちされている。合理化の対象になっている”という「ヒガミ」もやめたほうがいいですね。すべては図書館界の外、というより“天上の世界”で行われた結果なのですから。

図書館界新たな地平に

ただし、これを契機に公共図書館界を良い方向に導く可能性もなくはありません。
それは、日本図書館協会が「指定管理者制度」について正しい認識をもち、また図書館員が行政学を学び、図書館・社会教育行政について正しい見地から議論を進められるようにしていかなくてはなりません。
図書館教育学でも、司書講習のカリキュラムに「教育行政論」という科目を増やさないといけません。だって、図書館司書講習=公立図書館司書の養成といってもいいのですから。当面、「図書館概論」や「生涯学習概論」などの科目に「教育行政」の内容を盛り込むくらいのことはするべきでしょう。
また、勝手に「なじまない」と決め付けることで「指定管理者制度」に向き合わず、結果として
“図書館を直営か民営かで差別する”
という悪習をなくすことです。
また、住民参加・市民参加という観点から図書館活動を見直してみる、つまり「新しい公共*3」には「新しい公共図書館」がふさわしい。
建設的・公平・前向きな議論あってこそ、官民の区別なく「新しい図書館」や「望ましい図書館」を建設的かつ合目的な議論ができるというものです。
よいものはよい、悪いものは悪いという「ブルー・ホワイト・ブルー」という立場から
ギンガムチェック*4

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告知

私から見ても未練がましいこのブログは、10月末を目途に無期限休止する予定です。「愚か者図書館員の記録」として、一定期間は公開しますが、休止してからの主宰者からコメント返し等一切活動はいたしません。あらかじめ、ご了承ください*5
残りあと2〜3エントリ出す予定ですが、図書館司書としての「自らのふりかえり」と「若い図書館員に託したいこと」そんなところでしょうか…

*1:筆者注

*2:http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/renaissance/2pdf/3.pdf、P6-7

*3:http://www5.cao.go.jp/npc/index.html

*4:あぁ、今回もオチはAKB48か

*5:つまり、「ツッコミは、お早めに」ということさ

【これは盲点】公立図書館の指定管理者制度は“ありえない”【ビックリしたなぁ】

高飛車から土下座へ

前回のエントリでは、

図書館員には「井の中の蛙」状態になっていて、法的リテラシーも基礎知識もない

と、かなりバカにしたことを書いてましたが、元司書職であるその私も例外ではなかったようです。
これからお話しする内容に、10年ちかく前から気がつかないこと。いやお粗末ですね、

とある通知

よせばいいのに、妙に#takeolibraryにこだわってしまい、その流れから総務省のとある通知(平成15年7月17日づけ総行行第87号総務省自治行政局長通知)をかいつまんで読んでいたところ、ある一文に目を止めました。

道路法、河川法、学校教育法等個別の法律において公の施設の管理主体が限定される場合には、指定管理者制度を採ることができないものであること。

まぁ、「公の施設」といえば、“住民の福祉を増進する目的をもつてその利用に供するための施設”と定義づけられ、その管理にあっては、
公の施設の設置の目的を効果的に達成するため必要があると認めるときは、条例の定めるところにより、法人その他の団体であつて当該普通地方公共団体が指定するもの(以下本条及び第二百四十四条の四において「指定管理者」という。)に、当該公の施設の管理を行わせることができる。
というのが地方自治法ですね。ただし「一般法」である「地方自治法」に対し、道路法、河川法、学校教育法等個別の法律で公の施設の管理主体が限定される場合は「特別法」として、道路法等これらの法律が優先されるわけです。

で、さて図書館は…

しからば、図書館法といえば…

(定義)
第二条 この法律において「図書館」とは、図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーシヨン等に資することを目的とする施設で、地方公共団体日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人が設置するもの(学校に附属する図書館又は図書室を除く。)をいう。
2 前項の図書館のうち、地方公共団体の設置する図書館を公立図書館といい、日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人の設置する図書館を私立図書館という。

「設置」に対して述べているだけで、「管理」を地方公共団体で、という文言は見当たりませんでした。
管理主体は限定されていないということで、
「まぁ、そんなもんだなぁ…」
と、思ってはいたのですが…

上から社会教育法

ところが、実は思わぬ「伏兵」がありました。
社会教育法(昭和二十四年六月十日法律第二百七号)です。
この中で、第五条(市長村の教育委員会の事務)は次のとおり

(市町村の教育委員会の事務)
第五条 市(特別区を含む。以下同じ。)町村の教育委員会は、社会教育に関し、当該地方の必要に応じ、予算の範囲内において、次の事務を行う。
一 社会教育に必要な援助を行うこと。
二 社会教育委員の委嘱に関すること。
三 公民館の設置及び管理に関すること。
四 所管に属する図書館、博物館、青年の家その他の社会教育施設の設置及び管理に関すること。

社会教育施設の設置及び管理」と、ありますから教育委員会の所掌する事務であることがわかります。まぁ、「所管に属する」という文言の解釈がビミョーですが…
それでも、

・公立図書館の指定管理者制度について〜日本図書館協会の見解・意見・要望〜
 http://www.jla.or.jp/demand/tabid/78/Default.aspx?itemid=531

“なじまない”論より“ありえない”で押したほうがよかったとおもいますがね…

武雄から 学ぶことあり 図書館員

上から目線のタイトルですみませんね。
いま、青少年活動の一環として、中学校生徒の「標語コンクール」の審査に向けて、標語作品の入力作業をやっています。だから、タイトルも標語っぽいです。

それにしても「武雄市図書館」

さて、最近武雄市に関するエントリばかり取り扱ってきましたが、ブックマークはおろかページビューもいまひとつ、ですね。
おおよそ「現役司書」の云いぶんでなければ耳を貸さないのは、この業界にいた者としてありがちなパターンですけれども*1ツイッター等で拾ったりしても現役図書館員・学徒による発言は少なめですね。
まぁ、日本図書館協会という職能団体が、伝統と権威をふりかざし指定管理者つぶしにかかった挙句、市長さんの思わぬ反撃にあい、現在のところ不戦敗状態になっています。伝統ある組織による威力あるアピールも、首長のブログという機動力ある反撃にはかなわないということ。「大艦巨砲(「巨砲」というより「虚砲」が正しいかもしれない)」の終焉を感じてしまいました。

なぜ沈黙するのか

さて、日本図書館協会のことはさておき、なにゆえ関係者は沈黙するか、ということです。いまは「沈黙は金」から「沈黙は禁」の時代。黙っていれば“考えてないんじゃないか=思考停止状態”と思われてもしかたがないことです。また、案外他人事と考えている図書館員も少なくないのでしょう。
また、首長のキャラが強烈で、植物温室のつもりで入ってみたらサファリワールドになっているような恐怖・威圧感をもたれた方もいるかもしれません。
ただし、議論が少ないことは

  • セキュリティに関する技術論が多く、文系図書館員にはなじめない
  • 個人情報保護法・条例での議論についていけない
  • 地方行政そのものに理解が少ない
  • そもそも「指定管理者」を忌み嫌っている

が主な要因でしょうか。

図書館員の私法と法的リテラシー

特に致命的なことは“個人情報保護法・条例での議論についていけない”ことでしょうか。まぁ、法律・条例を議論するには、その方面での一定の基礎知識が必要でしょう。しかしながら「図書館の自由」という自分たちだけの枠組み・ルールで議論していた図書館員には「井の中の蛙」状態になっていて、法的リテラシーも基礎知識もない、というコマッタ状態ですね。
私としては、「井の中の司書」がおおいにもどかしいと思います。「個人の知る権利」「プライバシーの保護」を尊重しているハズの図書館員のモタつきはなんでしょうね? え、私といえば、やはり「井の中」の人で「海洋」を知らないひとりであったかもしれませんが、それなり自治政策法務もベンキョーしてますから、いまの武雄を「胃の中」で「潰瘍」ができるほど気になるところです。
ちなみに、冒頭の「標語(ひょうご)」で連想しましたが、「図書館の自由」って、「(日本図書館大会)兵庫(ひょうご)大会」からまったく前進してないようにみえますね…これは余談。

一地方だけの問題に非ず

他方、

  • 地方自治体の問題
  • CCCという受託先にかぎっての問題
  • 単なる指定管理者の是非の問題

ということで、軽視する向きも少なくないでしょう。アカデミックな議論を好む図書館情報学徒出陣の図にならないのも無理もないことです。
しかしながら、これからの図書館像を語るうえで、軽視できない問題も存在します。
まず、「貸出履歴」の問題。とかく“「図書館の自由」を教条的に解釈する方々”のせいで、泥沼にはまった観もあります。しかしながら、「集合知」を標榜すべき図書館において、「貸出履歴」は共有すべき社会資本になりえます。それを一企業が税金を使ったポイントバラマキを行い私物化することは問題ではないかと思います。
また、「オープン・アクセス」「機関レポジトリ」「クリエイティブ・コモンズ」など、知の集約と共有、パブリック・アクセスの尊重につとめてきた図書館が、「独占・排他的な知的財産運営を主眼とする企業に運営される、というのは問題アリアリだと思います*2

アタマに血がのぼった方へ

ここまで書くと、アタマが廻らないくせに血が上るのは早い人々の反感をかいそうですね。また、いつぞやのように
「直営原理主義者(?!)」
と、ワケのわからないカキコミ*3をする輩も出てきそうです。
ただ、私の基本的スタンスは以前書いたように
白猫黒猫ですから、念のため。
まぁ、部外者がなにをいっても聞く耳もたないのが図書館界。私も、

  • 白か黒か

なんてことよりも、

  • ブルーホワイトブルー

ギンガムチェック(Type-B)(数量限定生産盤)【多売特典生写真無し】

ギンガムチェック(Type-B)(数量限定生産盤)【多売特典生写真無し】

ギンガムチェックしたほうが楽しいにきまっていますよ。
でも、武雄と図書館界のこと考えると、心がブルーになるんですよね。

*1:少しヒガミ根性が濃い目だ

*2:勝手に指名して申し訳ないけど、このあたり、かたつむり(id:min2-fly)さんあたりの見解を訊きたいところですね

*3:あれは、ご本人に「直営原理主義者」についてコメント返しで解説を依頼したにもかかわらず、ガン無視したばかりでなく、別のHN(IPアドレスで同一人と判明)でロクでもないコメントしたので、管理者権限で「承認待ち」にさせていただきました

武雄と大阪、住民の個人情報の取り扱いには大きな差が

#takeolibrary で話題の個人情報ですが、このような記事を見つけました。

大阪市立小学校におけるツイッターを利用した個人情報の漏えいについて
 http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/kyoiku/0000178522.html

タイトルのとおり、「ツイッターによる個人情報流出」ですが、その内容といえば、

平成23年度の教室でのダンス練習風景写真2枚
(在籍28名中13名が写っている写真と14名が写っている写真。)

ということです。ツイッターなどSNSによる公私混同はよくあるパターンですが、その内容「在籍28名中13名が写っている写真と14名が写っている写真」が「個人情報」にあたるのか、少々疑問の残るところです。
写真及びツイートの中身を見ていないので、なんともいえませんが、ツイート自体に問題ある発言がないこと、学級全体の半数を撮影している以上、特定の生徒をターゲットにしたアヤシイ取扱ではないし、おそらく写真の構図からも児童一人ひとりを確定できるような写真ではなかったと推測されます。
行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律」では、個人情報について

生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。

と定義されていますが、今回の案件が、はたしてこの定義に該当するものであったか、といえば疑問は残ります。
新聞報道でも、自治体広報でも、学習風景とか入学/卒業式の写真はおおいに使われていますし、各小学校の公式HPで学習風景写真・動画が掲載されることもあります。
私が編集している「公民館報」も、かなりヤバいですね。
あえて、

全校園に対しても、今事案のような認識の誤りがないよう今一度情報モラルの周知徹底を図るとともに指導を徹底し、学校教育に携わる公務員としての職責について自覚を促すことにより再発防止に努めてまいります。

と、大げさにするほどの事件性は感じられませんでした。
少なくとも、佐賀県武雄市での

武雄市長が肖像権配慮なくネットで一般市民を含む写真1万枚以上を公開、上半身裸の女児写真も(ガジェット通信)
 http://getnews.jp/archives/245332

こちらのほうが大モンダイに思えます。
いずれにしても、個人情報とかSNSに自他(指定管理者として導入が予定されている業者含む)共に寛大な武雄市と、ややもすれば「過剰」にすら感じられる大阪市。両者とも強烈なキャラクターをもつ首長を戴している点で共通していますね。
まぁ、官民問わず、上にやさしく下にきびしい世の中であることは確実なようです。

指定管理者でブラックボックスされる情報公開

(注意)これは下書きです。数日中に修正加除する可能性大です

個人上保護と情報公開は表裏一体

 ご承知の方も多いと思われますが、地方公共団体では、所有している行政情報の公開を行い、公正で開かれた運営を図っています。これを制度的に保障するのが、「情報公開条例」です。
 これに対して「個人情報保護条例」は、個人情報の取り扱いについて必要なルールを定め、地方自治体が持っている情報の中に含まれる自分に関する情報(自己情報)を見たり、正したりする権利などを保障するとともに、市民のみなさんのプライバシー(個人情報)を保護し、公正で開かれた運営に役立てることが目的としています。
 「情報公開」で“行政の保有する情報=行政情報”を公開(開示)しようとするとき、その中に個人情報が含まれていれば、それは個人のプライバシーを侵害することにもなりかねません。このような事情から「個人情報保護」と「情報公開」は、行政においては「クルマの両輪」として扱われます。

指定管理者制度への対応

 各自治体の制定当初は、実施機関=地方公共団体保有する情報が対象であったわけですが、平成15年6月13日法律第81号〜地方自治法の一部改正〜により「指定管理者制度」が導入されたことで、各自治体によって異なる対応が現れます。「実施機関」に「指定管理者」と同等または準じた扱いをするかです。

  1. 地方自治法の改正〜指定管理者制度の法定化〜に対応して、情報公開・個人情報保護条例等改正を行なった自治
  2. 当該自治体が指定管理者制度を導入する際に、情報公開・個人情報保護条例等改正を行なった自治
  3. 改正を行なわなかった自治

事情は異なりますが、私は行政の透明化を徹底する意味で、指定管理者も情報公開/個人情報保護条例の対象にするべきだと思います。
たとえばの例

・宮崎県:出資法人・指定管理者の情報公開
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/somu/somu/joho/syussihojin_johokokai.html
・宮崎県:出資法人・指定管理者の個人情報保護
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/somu/somu/joho/syussihojin_kojinjoho.html


さて、
武雄市です。
個人情報保護条例については、id:alittlething様の

・指定管理者における個人情報の取扱いは条例上どうなっているのか
 http://d.hatena.ne.jp/alittlething/20120822

で、ご指摘のとおりですが、情報公開についても、

武雄市情報公開条例
 http://www.city.takeo.lg.jp/reiki/reiki_honbun/r302RG00000031.html

は、問題アリアリのように思えます。

  • 行政の透明化

と、

  • 排他的な知的財産運営

が両立するハズがない、少なくとも行政の場ではありえない、ということなのですが、一地方自治体のことだからといって黙視することは私にはできません。

武雄の税金>CCCによる「Tポイント錬金術」と「子どもだまし」

まぁ、このブログをおとずれる方もいない、そんな開店休業状態が続いてますが…
以前のエントリ
武雄市立図書館のTポイント付与はやはり問題である〜税収からTポイントへのすりかえ〜
 http://d.hatena.ne.jp/hatekupo/20120820/1345465492
の続きということで…
さすがに、このエントリは過激だったようで、反応も控えめだったようですね。
補足させてもらいましょう。

ポイントの原資

まずは、ポイントの原資について、コメントいただきました、fmht7さんのコメント
あと、見た目は指定管理料でTポイント付与の原資が賄われているとの解釈もありますが、実は市民の図書館利用情報をCCCに渡すことで見えない対価(値引き)が発生しているとの考え方も成り立つと思います。
Tポイントは、逆に情報を提供した市民への還元分とも考えられます。
このコメントはおかしいですね。そもそもTポイントは、

  1. 図書館運営がCCCが受任する
  2. そこでの「貸出し」にCCCがポイントを付与する
  3. 利用情報はCCCに“渡す”のではなく、業務上知りえた情報をCCCが「目的外使用」しようとする

ように考えます。
ポイントは企業通貨ですから、一定のアライアンスで現金と同等の価値をもちます。
1ポント=1円の公式レートで、年間40万冊を貸し出すとしたら、40万円(ポイント)が必要になります。
それをCCCが負担することは内部補完にあたりますが、金の出所といえば武雄市からの委託料です。

睡眠Tポイント

さて、fmht7さんはここで「架空マネー」という言葉を使っています。この「架空マネー」云々は別として、思いついたことがあります。
私の机には、かつての「Book−Off」Tカードがありますが、まったく使っていません。
もはや無効ポイントですね。このような例は決して少なくありません。
そこで、
40万冊貸出して、40万円をTポイント相当額としてCCCが市からの税金から徴収します。
しかし、有効期間を過ぎたポイントは「死に金」にも等しい状態になります。
40万ポイントのうち、実際に消費されたのが30万ポイントならば、残る10万ポイントは当然CCCのものになります。
税金の一部がCCCに内部留保され、同社のものになってしまう
危険というか、錬金術の妙を見る思いです。

ポイント=個人情報バーター論のウソ

さて、以前市長さんが
「規約の同意さえとれば公共図書館で住民の個人情報を集めてよい」
と発言しておりますが、
「その個人情報とひきかえにTポイントで“還元”というカタチをとっている」
旨、主張する人がいます。
が、私は二点で賛同しかねますね。
一点目、図書館は地方自治法で「公の施設」と位置付けられています。同法には

第二百四十四条 第3項 普通地方公共団体は、住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない。

と、規定します。
これが「不当な差別的取扱い」にあたるか、議論あるでしょうけど、図書館利用者が本来守られてしかるべき「個人情報」の「目的外使用」を認めた者だけポイント付与されるのは、「不当」とはいかぬまでも「不自然」ですね。

二点目。
図書館には老若男女さまざまな方が利用します。
先述の
「利用者の同意」ですが…
図書館には子どももたくさん来ます。
未就学児はもとより中学生以下の「子ども」も利用します。
その場合、「同意」を「子ども」から取り付けることが適切で効力をもっているか、ということを考えるとかなり疑問です。
少なくとも義務教育を修了した者でなければ、「自己情報」について正しい知識を持ち、約款等を読み解き、同意のサイン=意思表示ができるとは思えません。

フェルメールから考えたこと

フェルメール2連発

さて、前回に続いて、今回は

・ベルリン国立美術館
 http://www.berlin2012.jp/tokyo/

の感想など…

会場は、東京都美術館にくらべてかなりすいてました。
ちなみに、この日の上野観客動員数は
上野の森(ツカンカーメン、40分待ち)>東京都美術館(5分待ち)>国立西洋(待ち時間なし)
だったようですね。
東京都の「耳飾り」が展示の中でVIP級、破格の扱いであって、それだけにスタッフに「押し」をくらう羽目になりましたが、幸いにして、「首飾り」は展示品の中でオンオブゼムの扱い、ゆっくりと眺められます。それだけに深く観賞できたような気がしました。
主人公の女性そのものは、正直インパクトに欠くようです*1
なぜなら、「首飾り」は「光」に満ちているからです。
机の上に置かれた東洋の陶磁器。それが実物以上にえもいえぬ味わいを出していることです。

私はなぜ「スタバ」に行かないのか

ハナシかわって…
ここ最近、スターバックスに行ったことがありません。
理由は、器が気にいらん、というささいな理由。
あと、もうひとついえば近所にコストコホールセールが出来てから妙にスタバに割高感を感じてしまっているからですね。
タンブラーはマニアの気持ちもわかるけど
“お持ち帰りになってね”
という重圧を感じるし、マグカップもマニアは喜ぶだろうが、私はすくなくともあの造形に“こだわり”とか“芸術性”を感じることはできません。ディスポーザブルのカップなどもってのほかだし、チェリーパイがどんなに美味くても紙皿とプラスチックナイフ&フォークでは味気ないものを感じます。
その点、近所の咖啡珈琲なるお店は大変良いですね。
入店すると、“氷をおしげもなく入れたお冷”とおしぼり。例によってホットケーキを注文。このお店のホットケーキは注文を受けてから一枚一枚丹念に焼くので時間がかかるのです。
もちろん、コーヒーも注文します。このコーヒーも豆から挽いて出すわけですが、ホットケーキの焼き具合のタイミングをはかって供されます。
で、しばらく待つと

登場です。
ホットケーキの外はサックリ、中はふっくらとしています。
ここでの主役はコーヒーカップ。一番安い器のものでもノリタケ・ボーン・チャイナ。高いのになると手がふるえるようなマイセンが出てきます。
コーヒーをすすり、ソーサーに置くと“カチャン”と、いい音がします。至福ですね〜

図書館にスタバはなじまない

さて、武雄の図書館にスタバ出店ですね。
単純によろこぶマニアとかもいらっしゃるようでしょうから、結構な話です。
だが、かの地は唐津焼伊万里(有田)焼などの陶磁器が有名な場所です。
わざわざ東インド会社を通じて陶磁器を入手したフェルメールの時代の人々なら仰天しますね。

文化の創造と模倣

今回、フェルメールを観たとき、芸術は「表現の自由」だけでなく「自由貿易」も大きな影響力をもっているのではないかと思いました。「首飾り」の陶磁器しかり。「耳飾り」の「青」を表現するラピスラズリしかり。
その点、武雄のスタバ出店は「模倣」であり「もちこみ」であります。
そこから「文化」が生まれるとは、私は思いません。

*1:「耳飾り」がセンターポジションなら、「首飾り」はギリギリで選抜メンバーじゃないかと思う