なぜ不愉快なエントリ【図書館利用は忍耐が必要だ。はじめて気がついた!】を書いたのか。カウンターに立つ図書館員ののみなさまへ

前回の「図書館利用は忍耐が必要だ。はじめて気がついた!」をお読みになった方々、不愉快な経験をさせて申し訳がない…いや、申し訳があります。今回は…
私はきびしい意見、時として自分自身のことを棚に上げたような発言やばかりしておりますが、同時に図書館にいまだ未練と愛着とがないまぜになった人間です。
ついでに白状してしまうと、(現役だったころの)自分よりも、(能力や知識技能はともかくですが)モラルの低い図書館員、向上心のない司書の言動を見れば、
「なんで、あんな野郎が司書やっていて、自分が(司書を)クビになんなければいけないんだろうか!」
落ち込んだり、激昂することもあります。ルサンチマンですね…。

「投書」は、百害あって一利あるのかどうか…

「不満があるなら投書しろよ、はっきり言ってやればいいじゃん!!」
そんな声も聞こえてきそうです。
たしかに“図書館をよりよくするためにご意見を”書くというのは一つの選択肢ではありますが、私の経験からすれば、投書が“図書館をよりよくする”例はあまりない、むしろ副作用の方が強いと思います。
投書で苦情が申し立てされると、どうなるか。
まず、管理職がカンカン…というよりナーバスになります。
当該職員(ご利用者様に“不愉快な思い”をさせた当の本人)が記名されているなどして、特定される場合はともかく、たいていの場合、職員全員の連帯責任となります。
このとき、日ごろ利用者に熱心と親身を以て誠実に接している熱意ある図書館員の士気が下がり落ち込む一方、肝心の“反省すべき職員(自信過剰のベテランに多い)は、馬耳東風。お母さんがゴキブリ退治に殺虫剤を撒き散らして、子どもが大事にしていたミヤマクワガタがあの世に行って、ゴキブリは生き延びるようなものです*1
次に“犯人さがし”がはじまるのですが、これまた、さきほどのゴキブリ…じゃないベテラン職員が暗躍をします。経験の浅い非正規職員や、司書資格を有しない行政職に責任を押し付けたりします。
館内では前述のようなモラルハザードが生じる一方、館の外ではどうなるでしょうか?
最近の自治体は、民間に追従するように「ガバナンス体制」を強化していますから、その内容は「自治体内部で共有化・教訓化」されるため、投書は庁内を駆け巡ります。総務・広報はもとより、人事や、下手をすると首長自ら目を通すことにもなります。それは行政内部での図書館の地位・評価を下げ、結果として職員の削減・非正規化・予算(資料費)削減などのかたちで出てきます。これは即効性はありませんが、ボディブローのようにじわじわと効いてきます。

投書をするならば、現体制を倒そうとするとき、たとえば、指定管理者化されている図書館の指定管理を攻撃するようなときなどがよろしい。たとえば、下記のようなブログですが

・図書館のルール(杉並の図書館を考える会2010-8-12)
 http://suginamitoshokan.blog133.fc2.com/blog-entry-20.html

特定の指定管理業者を徹底攻撃したい場合は、ブログなどという生易しい手法ではなく、「投書」というスギナミ…じゃないツキナミな方法を選択すべきであろうと思います。

行政は「管理」を好む。なぜなら「管理」がヘタクソだから

さて、先ほど“投書は庁内を駆け巡る”といいました。
おおむね、昨日のような内容を「投書」したとき、親愛なる司書の皆さまは、それをご覧になれば、「困った司書」の仕事ぶりについて考えたり想像したり、その一点に興味関心は集中すると思います。
が、そこに「盲点」というか、司書の悪癖(=同業者の仕事ぶりだけに目が行ってしまう)ともいえるような視野狭窄が少なくないと想像します。
図書館職員はともかく、圧倒的多数の行政幹部は、サービス云々よりも、施設の管理不徹底(本来、筆記用具以外持参不可の場所で、リュックや書類カバンを持ち込まれ、コカ・コーラのペットボトルが飲用されている)ということに集中します。彼ら管理部門には独特の哲学があって、それらは法則化しており、いわく…

  1. 施設管理の不徹底は職員管理の不徹底に比例する
  2. 施設の管理状態をみれば、そこの職員のモラルがわかる

というものです。
一方残念なことに、都道府県や政令指定都市のような規模の大きい自治体にかぎって、エリート集団たる管理部門(総務・人事・財政・法制担当)と現場とのかい離は甚だしくなります。
彼らは
「注意すればすむじゃないか」
の一言ですべてが解決されると思っているのです。
しかし、残念なことにいまの地方自治制度、いやわが国行政の全分野において、実定法重視、自然法軽視の立場にたっていますから無理があるのです。
その無理を無理矢理押し付けようとしてまた無理がでます。
利用者のモラル低下を嘆く声は、図書館員にもまま多いですが、利用者だけを責めるわけにはいきません。さりとて、図書館員がその責任をカブるというのもおかしいと思います。
ただし、「公の施設」としての管理をおろそかにしていると、
「ウチもいっそ、指定管理者にしてしまえ!」
というハナシになるやもしれません。指定管理者制度反対運動に従事している図書館司書のみなさま、反対運動に躍起になって、くれぐれも自分の「館」の“公の施設として管理する”ことをおろそかになさらぬよう…

カウンターサービスで完封勝利はあり得ない

さて、ある程度の規模の図書館、たとえば都道府県立図書館のような図書館では、必ずといってもいいくらい“困った司書”ともいうべき人がいて(先述の例では「ゴキブリ」にあたるような方々です)、しかも往々にしてベテランに多いようです。ご自身でも多少自覚(していても、そのために注意を心がけるという殊勝さはない)しており、また周囲の人間や管理者も勘づきますから、ふだんは司書室に篭もり、選書だの内部業務に専心をしております。が、夏休みとなれば、職員は交代で夏期休暇をとります。かといって、利用者がいる以上、カウンターを職員不在にすることは許されません。そこで件の司書のような方が普段の棲家をはなれてカウンターにイヤイヤ出てきたのでしょう。このようなときに図書館を訪れた方は、くれぐれも“運が悪い”と嘆いたり、立腹したり、なさらぬように。サファリ・ツアーでめったに見られない“生きている化石”と遭遇できたことを喜ぶべきです。
私は、たいていの公共図書館のカウンターではパーフェクト・ゲームはありえない、と思っております。苦情を受けた管理職は“遺憾の意”を表し“万全を期すよう全職員に徹底”などと勇ましい言い訳というより大見得を切りますが、“万全を期す”ということ自体無理な話。それを職員に“徹底”させようとするのは一種のパワー・ハラスメントです。“困った司書”の1,000倍くらい“困った利用者”というのも存在します。カウンターは職員と利用者の接点であり、それぞれが十人十色。カウンター・ワークが人間同士の相対関係で成立している以上、相互にミスや間違いなどが出るのは当たり前のことですから。
私が分館の“雇われマダム”をしていたころ、私は共に働く派遣会社職員には
「三振・エラーを恐れるな。我々はヒットを打つことだけ考えればいい。3点失点しても4点とって勝ち越せばそれでいいんだ」
と常々申しておりました。
たしかに三振・エラーもあった*2けど、ヘッポコ監督の狙い通り、リラックスした気分でマウンドやバッターボックスに入り、時として場外ホームラン(おほめの「投書」が入り、模範例として庁内に広められた)まで飛び出したりもしました。

利用者は図書館員の接遇にどの程度期待しているのか?

これは偏見かもしれませんが、図書館利用者は職員の「接遇」について高レベルを期待しているかといわれれば、私は「ノー」と答えます。
少なくとも
「愛想のいい図書館司書」
にはあまり出会ったことがありません。
一つのたとえとして、深夜のコンビニのバイト。あれは(だいぶ改善されていますし、個人差もありますが)あまり感心できないレベルです。でも、それに腹を立てたり不満に思う人はいません。
“まぁ、そんなもんだろう”
と思いますから…
が、一流ホテル・旅館でホテルマンや仲居さんがあのレベルでお客に接したらマネージャーには非難・抗議が殺到するでしょう。同じ接客でも“深夜のコンビニ”と一流ホテルでは、スタンダード、というか期待されているレベルが全然ちがうのです。
図書館も「あまり期待されていない」と思います。それは図書館とその職員にとって欠点でもあり「悪」でもあるのですが、「悪」の力は強いこと、それも実感してきました。
ただ、「サービス」「接遇」の社会一般のレベルは底上げされていますし、利用者の評価もきびしくなるでしょう。
私は16年の歳月を経て、市役所庁舎に戻りましたが、この空白のあいだ、本庁舎の職員の接遇は格段に向上しました。
図書館だけが「お役人様の応対」が生き残っているガラパゴスのような存在になっては困りますが…

*1:本当にオールドタイプの司書は、外からの攻撃に対し耐性が強いです

*2:ちなみに、一番三振・エラー・暴投が多かったのは、監督(=私)自らバットやクラブを手にしたときと思います。(苦笑)