日本図書館協会学校図書館の春〜なぜ図書館員はソーシャルメディアを嫌うか?〜

「公共」から「学校」へ

私は、公共図書館から(高等)学校図書館に異動して、ただちに日本図書館協会に部会の変更(公共図書館部会から学校図書館部会)手続きをしました。
日本図書館協会学校図書館部会(=JLA−S)では、主たる事業「夏季研修集会」など学ぶことが多かったと思います。その在任中印象的だったことを書きます。

双方向性を意識したJLAschool.info

JLA=Sで、特筆すべきことは、結構早い時期で公式コミュニティ・ネットワークを構築しようとしたことでした。

・JLAschool.infoのWayback Machine記録
 http://wayback.archive.org/web/*/http://www.jlaschool.info/

2005年3月、リニューアル開始されたこのサービス

・JLAschool.infoのWayback Machine記録(2005-03-01)
 http://web.archive.org/web/20050307022720/http://www.jlaschool.info/

主催者はIT企業関係のボランティアの方でした。
たんなる「部会のホームページ」にとどまることなく、学校図書館にまつわるニュース、調べ学習に役立つリンク集などもコンテンツに入ってました。とにかく、すばらしいのは「双方向性」という要素を大々的にとりいれたことです。
このサービスのねらいについて、件の主宰者(無償ボランティア)の方が、我々に説明するのを聞いたことがあります。

学校図書館では、みなひとりだけで問題を抱えがちである反面、みなが顔をそろえ交流する機会があまりにも少ない。そんなわけで、会員相互の情報交換の場や情報交換のしかけをつくりたい

といった内容だったように思えます。

改善めざましいJLAschool.info〜JLASchool.forum

閲覧者(カウンター数)こそ伸びませんが、JLAschool.infoはどんどん伸び(成長し)ていきます。
2005年10月には「JLASchool.blog」を設置

・その頃のJLAschool.infoのWayback Machine記録(2005-10-27
 http://web.archive.org/web/20051027162758/http://www.jlaschool.info/

翌2006年8月3日、部会員専用のSNSともいうべき、“JLASchool.forum”が開設されます。

・その頃のJLAschool.infoのWayback Machine記録(2006-8-3)
 http://web.archive.org/web/20060831000635/http://www.jlaschool.info/

正直なところ、使いにくい部分があったり、主宰者の若さゆえの「はじけちゃっている感」「自己満足感」が鼻につく感じもしました。
しかし、無償ボランティアで、せっかく努力なさっているのに文句はつけられないし、感謝の気持ちが多いのは“人間として当たり前”だと私は思いましたけど…

突然の終焉

おわりは、唐突にやってきました。

・JLAschool.infoサービス停止のWayback Machine記録(2007-6-13)
 http://web.archive.org/web/20070613181757/http://www.jlaschool.info/

理由としては
日本図書館協会学校図書館部会のウェブサイト“JLASchool.info”は、

部会幹事の交代に伴い、
2007年5月19日にて閉鎖することとなりました。
今後のウェブサイトは、新しい部会幹事の手により作られることとなりますのでご了承ください。

と、ありましたがそれ以上の理由があったようです。
前日5月18日の部会総会後、主宰者が個人ブログで、
「見てませんよ、そんなもの!」
と、ある(日本図書館協会学校図書館部会)会員にののしられたそうです。
どうやら、せっかくのこれまでのサービスが、
「インターネットを使わない人たちが多いのに、このようなサービスは不公平」といったような、罵声があびせられたようです。
無償ボランティアの若者としては、たまらなかったでしょうなぁ。
とにかく、2005-2007の約2年間、図書館員相互の交流サービスとして画期的な背策をした一連の動きを私は「プラハの春」にちなんで
学校図書館部会の春」
とよびます。
その終焉を迎えたのは、ワルシャワ条約機構とかの外部からの蹂躙ではなく、「内部崩壊」であり、その中心がうるさ型のオバサ…(以下略)