私の「読書(本の)案内」と「見切り」

さぁ、私の「読書(本の)案内」を語らせてもらいましょう。

以前、知り合いの方から
「オマエのブログは(図書館員にとって)痛いところを突きすぎている」
といわれたことがありました。
おそらく、言外に
「オマエは(外野で)云いたい放題でいいよな」
という、イヤミとも羨望ともつかぬ感情が入り混じっていると思いました。
さて、最近「読書(本の)案内」について書いてきました。
その中で、そのギョーカイでは高名であろう方々まで“云うだけ司書”と嘲笑・罵倒しているかのような表現もありまして。
ならば、
「各云うオマエはどうだ?」
という声が出てきてもおかしくはないでしょう(ただし、聞いてもつまらないから無視しているだけかも)。
よろしい! 私の“案内”を見せてさしあげましょう。テーマは「料理」について。どこの図書館も多品種、多種類の本があって玉石混交。現場の人間からすれば“書架整理するだけで手一杯”だといえます。それだけに「相談」の潜在的ニーズは高い高い。

目的と手段を混同せぬこと

まず、最初のお題

料理が得意でなく、ご主人や姑さんからイヤミや不満の声ばかり聞かされている。なんとかして料理上手になりたい。

という新婚ほやほやの若奥様からの相談です。
あ、その前に
“たかが料理”
などとは思ったり、考えたりしないようにしてください。
“食い物の恨みは…”
ということわざまであるくらい重要ですし、じっさい料理のことで“離婚”にいたった事例も戸籍係から聞いているくらいです。
ここでは、目標を

  • なんとしても料理を完成させ
  • 家人に味わってもらい、喜ばれることで
  • 苦手意識を克服する

こととします。これが達成されなければ、その利用者さんにとっての図書館・司書は輝きを失います。
一般に司書の方々にとっては「読む」ことを目的にしてしまったり、あるいはヒドい司書(あ、オレか?)になれば「貸出し」を目的にしたりしてます。
ただし、実用書の場合は違います。今回の場合、料理書を読むことはご本人にとって手段であって目的ではない、ということをわすれてはなりません。
ま、加えて

  • (その料理書)所載の料理をつくることによって、基礎を学習でき、応用・発展をうながす

ことや、

  • 材料集めの段階から挫折することのないよう、入手しやすい素材でできること

も条件づけます。

自分の「イチオシ」を決める

これらの条件を満たすものとして、私が往々にして先発エースとして登板ささてきたのは、

おそうざいふう外国料理

おそうざいふう外国料理

ですね。
前にも書いたかもしれませんが、私の小学校高学年の愛読雑誌は祖母の「暮らしの手帖」でした(ちなみに、そのころ花森安治さんが亡くなると「面白くない」といって読むのをやめた。いやなガキだねぇ…)。それゆえ、同社の料理本の良心とか気配りを熟知しています。
原稿と写真ができると、料理上手でない社員にそれを見せて作らせる。見事完成させたらOKなのですが、NGの場合はとここん文章に手をいれ写真を取り直す、それをできるまでくりかえし、決定稿へともっていくのです。
ですから、失敗や挫折の可能性は少ない、これなら完成品を家族ともに味わい自信と意欲をもつことができるでしょう。
また、おまけによくできているのは「材料」に関すること。今でこそ大都市圏のスーパーには世界中から寄せられたあまたの食材がならんでいるしインターネット通販もあるから食材の入手に不都合ありません。
が、昔は、そして田舎では、いまなお食材が入手困難な場合もあるのです。
この本では、そうした入手困難であろう外国食材の「代用品」まで考慮しているには感心するしかありません。

時には変化球勝負も

先ほどの例が、先発からゲーム終了まで安心して任せられるエース級・本格派であるとしましょう。ただし、時としてとんでもない「変化球」が功をそうする場合もあります。たとえば、次の事例。

ご主人が最近食道がんで手術を受けた。医者からは流動食で栄養をとるよう指示されたものの、食欲が出ない。「再発」の心配と同時に、本人を元気づけるような流動食をつくりたい。

という熟年女性からの命題。
ごくフツーのありふれた図書館員なら「食餌療法」の本をすすめると思います。それはたしかに正しいのですが、相談者の抱える問題・悩みの回答としてふさわしいか疑問符がつきます。
「食餌療法」の類の本は、かつて私が「不健康コーナー」といったNDC490〜499の書架にあります。そこへ案内することは、ご本人の“再発への不安”とか“療養者”としてのネガな思い込みを助長します。少なくとも、手術が成功したのであれば、「健康人」として人生を歩んでほしい、と私は思います。
そのための「変化球」がこちら

あなたのために―いのちを支えるスープ

あなたのために―いのちを支えるスープ

なによりもタイトルがいいです。
この本の作者辰巳芳子さんが、お父様の看病のためにつくったというスープのレシピです。
ダシ・スープの採り方・活用法が系統的に解説されています。見るからに体に優しそうなメニューが並びます。
「重病を背負った家族にできるだけのことをしてあげたい」
という気持ちがあって、それをカタチにするための「料理」。

裏テク

ちなみに、本日紹介した本は新刊で買うとクッキング本としては「高価」な部類にはいります。
私は、その本の価格を告げ、改めて
「図書館無料の効能」
を説きました。
いや、ここまで来るとマルチ商法まがいですが…

あとはどう売り込むか

で、“推し本”が決まれば、あとはどうアピールするかということです。
国学図書館協議会から
という本が出ています。私はこの本のタイトル、「上から目線」が嫌いですが…

  • 短時間で
  • 手短に
  • 要点のみ

話して売り込みを図る、そこまでできて「一人前」でしょうか?
まぁ、上記の本2冊については「まえがき」を声に出して読み聞かせます。これ効果的。

紙々のたそがれ

まぁ、そのように「読書(本の)案内」に全力投球してきました。
それが「司書の専門性」かといえば、私は必ずしもそうではないだろうな、って思ったりもします。
なぜなら、それは「司書講習」という“司書に専門性を与えることを目的としているであろう講習”の中に出てくることではありませんでした。
図書館問題研究会とその影響の濃い日本図書館協会も、私のような立ちぶるまいを敵視こそすれ、まちがっても「評価」しようとする者はいなかったでしょう(唯一全国学図書館協議会だけ評価してくれましたが)。私はずっとひとりでした。一人だからカウンターで後先かえりみず全力投球できたのだと思います。
心情的にはマウンド(カウンター)には立ちたい、「読書(本の)案内」をさせれば、“まだまだ他の者には負けない”という自信はじゅうぶんにあります。
ただし、今日は料理の本を紹介しました。インターネットが旺盛で、知恵袋とか書評とかで容易に情報を直接入手できる時代になれば、うん、私はもう用はないのだな、と思わずにはいられないのです。
「老司書は死なず、ただ消え去るのみ…」