平成図書館行政史? 〜指定管理者図書館はかくして生まれたり〜
前回エントリで、指定管理者制度を社会教育施設に導入することは、法的に“ありえない”ことを申し述べました。
なぜ「盲点」となったか?
このような重大な局面で、なぜ判断をあやまり、「盲点」になってしまったのでしょうか。まぁ、日本図書館協会とか現役司書あたりの意識は前述のとおりでありますが、教育行政のエキスパートである、文部科学省のエリート官僚・テクノクラートが問題を“読み間違えてしまった”のか、疑問は残ります。
捨てる神あれば拾う神あり、と申しますが、前回のエントリ「これはどうですか」氏がよせたコメント
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo2/siryou/03120101/001.htm
平成15年12月 第26回 生涯学習分科会
文部科学省内のページです
に、ヒントがあります。
この中の
・生涯学習分科会(第26回)議事要旨
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo2/siryou/03120101.htm
この中にある、
・公民館、図書館、博物館の民間への管理委託について
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo2/siryou/03120101/001.htm
に、ボタンの掛け違いを発見しました。この文中
公民館、図書館、博物館も公の施設として「指定管理者制度」の対象となるが、これまで文部科学省は、法律上必置が求められている職員について、社会教育法等の規定を踏まえ、教育委員会の任命が必要であるとの立場をとってきたところである。
そもそも、この時点で“公民館、図書館、博物館も公の施設として「指定管理者制度」の対象”としていることが誤りなのは前回エントリに書いたとおりです。この法解釈を置き去りにしたまま、この業界にありがちなパターンとして「職員問題」に“議論のすりかえ”を図っているところに図書館界の体質が垣間見ることができます。
一方、この文書には、
今般、地域再生推進本部(10月24日内閣に設置。本部長:小泉内閣総理大臣)が、地方自治体を対象に行った民間委託の阻害要因についての調査によると、公民館、図書館、博物館に関する阻害要因として「必置職員に対する教育委員会の任命」が挙げられてきている(別紙参照)。
この中で、「別紙」というのが、こちら。
・公民館、図書館、博物館の民間への管理委託に対する 地方公共団体からの指摘事項(抜粋)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo2/siryou/03120101/001/001.htm
これによると、
図書館は、図書館法第13条により館長を置くことといった規定があるため、館長を含めた包括的な管理委託ができない。(銚子市、志木市、静岡市、松本市、高山市 等)
を理由とし、ここでも(!)職員問題を理由としています。
決定的なのは、
・社会教育施設における指定管理者制度について
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo2/siryou/03120101/001/003.htm
ここの内容・認識ですね。
(指定管理者制度を規定した*1)地方自治法は一般法であるため、社会教育法第23条に規定されている「公民館の運営方針」や図書館法第17条に規定されている「入館料その他図書館資料の利用に対する無償規定」等の個別の規定については、引続き優先的に適用。
と、「一般法=地方自治法」より「特別法=社会教育法・図書館法」優先の原則を明らかにしたことはほめてもいいでしょう。でも、ここでも「職員問題」に拘泥するあまり、「設置主体」の問題がおろそかになっています。
で、その結果として…
以上のような観点から、公民館、図書館、博物館の民間への管理委託に関し、文部科学省は、11月21日に開催された経済財政諮問会議において、以下のとおり説明を行ったところである。
地方自治法改正により指定管理者制度が導入されたことを受け、今後は館長業務を含めた全面的な民間委託が可能であることをあらためて明確に周知
このときの説明資料
・河村臨時議員提出資料
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/minutes/2003/1121/item1.pdf
や、当日の議事録
・経済財政諮問会議(平成15年第24回)
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/minutes/2003/1121/minutes_s.pdf
文部科学省が、指定管理者制度に「お墨付き」を与えた瞬間です。この「周知」以降、図書館における指定管理者論争は、労働問題・所蔵資料・仕様書から選定までの手続き、といったように、細分化され、感情的な反発、民間に対する偏見、法的知識・行政学を欠いた議論へと“発展”してしまい、あるいは「図書館の自由」などのトピックからの戦術レベルでの討論に矮小化して結果として図書館を支える法制度からみた指定管理者の議論は、ほとんど「空発・不発」のまま、今日に至ったということです。
ただし、議論が不毛におわってしまったことは、上記のとおり文部科学省が疑義のあるジャッジをしてしまったことで、「図書館の指定管理」が既成事実化してしまい、結果として法制度の根本から議論する機会が失われてしまったことは大きな損失であったといってもよいでしょう。
劇場型政治がやったこと
誤りを指摘・糾弾することはたやすいことです。
ただし、ことここに至ってしまったのには、それなりの事情があるはずなのです。これを酌むことなく、“あやまった判断”と決め付けるだけでは何の儲けにもならないし、当時の関係者も浮かばれません。
この分科会とその周辺を見渡すと、当時のやむにやまれぬ事情三点をうかがうことができます。
拙速なる指定管理者制度の進展
「指定管理者」を制度化した、地方自治法の改正が平成15年6月18日法律第九一号で可決され、平成15年政令第374号で平成15年9月2日から施行されてから、地域再生推進本部(10月24日内閣に設置。本部長:小泉内閣総理大臣)が、「民間委託の阻害要因」という批判・催促的な言動を起こし、それを受けて第24回経済財政諮問会議で、文部科学省が「地方自治法改正により指定管理者制度が導入されたことを受け、今後は館長業務を含めた全面的な民間委託が可能であることをあらためて明確に周知」という見解を出したのが11月21日のこと。
官民ともにノウハウのない段階から、3か月に満たない段階で、指定管理者の促進策と問題点が整理されてしまったのは、内閣総理大臣による「政治力」がモノをいってます。
予算編成とセット議論
前述の、経済財政諮問会議の流れ
・平成15年会議結果
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/minutes/2003/index.html
から流れを追いますと、
第22回会議(平成15年10月17日)で、
・公民館、図書館、博物館の民間への管理委託に対する 地方公共団体からの指摘事項(抜粋)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo2/siryou/03120101/001/001.htm
が、報告され、
“地方自治法改正により指定管理者制度が導入されたことを受け、今後は館長業務を含めた全面的な民間委託が可能であることをあらためて明確に周知”を文部科学大臣が表明したのが、第24回会議(平成15年11月21日)です。これは表舞台ではまだですがすでに水面下で予算編成にかかる“攻防”“駆け引き”が始まっているころです。
「指定管理者を導入せざる省庁は食う(予算配分)べからず」
という重圧があったことも想像に難くありません。
あと、余談ですが、“住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設である公の施設について、民間事業者等が有するノウハウを活用することにより、住民サービスの質の向上を図っていくことで、施設の設置の目的を効果的に達成するため”とかイカす美辞麗句で語られている「指定管理者制度」が、一連の経済諮問会議では、単なるアウトソーシングの手段としてしか登場していないのにはビックリです。
「聖域なき構造改革」の「聖域」とは
当時の政権は「小泉劇場」と称される小泉内閣です。「劇場内閣」とは「劇的=パフォーマンス=人気取り」に走りがちです。
先の「拙速な流れ」とはまさに奔流といってもいいでしょう。
小泉内閣は「聖域なき構造改革」をブチあげました。このフレーズを熱狂的に支持した国民も多いのですが、ここでの「聖域」とはなにをさすのか、ということですね。多くの国民は、ここでいう「聖域」を利権・既得権と考えました。だからこそ選挙で圧勝できたのかもしれません。
「聖域」には、たしかに利権・既得権・しがらみのようなものもあったでしょう。ただし小泉改革のいう「聖域」とは法制度・法体系も含んでいた、ともいえます。
「民営化」「規制緩和」とうのは「小さな政府」の政策の柱であることは確かです。また、その理論には一定の合理性・合目的性があることは認めざるをえません。
ただし、「規制緩和」の対象となる「規制」には、制定当初になんらかの目的・理念があって設けられたことはいうまでもないことです。したがって、それを緩和とか撤廃するには、その規制のもつ意義や意味合いなどを、今日的状況にあわせて考え、見直しなりアップ・トゥ・デートがされなければならないことです。
法を「骨抜き」する
で、「規制」となる法令について、冷静な議論の末、「見直し」等が求められた場合、本来ならば法令で定めるべきでしょう。これならば議会の議決といった「民主的手続き」を経て行なわれ、「告示」等で可視化されるべきでしょう。
ただし“拙速を尊ぶ”体制では、議論も経ず、かなり無理な解釈でこれを有名無実化してしまおうとするのです。いわば「骨抜き」ですね。
代表的な骨抜きの例をあげましょう。
先の総務省通知で「特別法」があることを理由に「適用しない」例とて公示された「道路法」でも国土交通省は、「指定管理者が行うことができる道路の管理の範囲」として、
行政判断を伴う事務(災害対応、計画策定及び工事発注等)及び行政権の行使を伴う事務(占用許可、監督処分等)以外の事務(清掃、除草、単なる料金の徴収業務等で定型的な行為に該当するもの等)であって、各自治体の条例において明確に範囲を定められたもの。(これらを指定管理者に包括的に委託することは可)
※行政判断を伴う事務及び行政権の行使を伴う事務(占用許可、監督処分等)は、道路管理者が行う。*2
という、有様です。
それでも、「道路族」の力を背景にわたりあった国土交通省は、「線引き」をすることができただけマシ、ともいえます。
その点、図書館=文部科学省はまったくの「無条件降伏」です。
ポピュリズムが産んだ「地方分権?」
つまり、戦後、「知る権利」「学習権」を通じて民主主義に貢献することを使命付けられた公立図書館は、皮肉にも政治が民衆主義から劇場型政治>ポピュリズムへと変質したとき、その屋台骨をゆるがす事態に直面した、というなんとも皮肉な結論になってしまいましたね。
同時に、
ことを考えさせられます。
もうひとつ、小泉政権のキーワードですが、
- 小さな政府の実現
- 地方分権
がひとつのテーマではありますが、この二点を実現しようとした場合、「小さな政府」の実現はともかく、権限移譲とは事務を移譲することですから、「大きな地方自治体」ができてしまう、これはあまり意味がない。
そこで
- 官から民へ
という発想が出ます。それをおしつける方策が
「簡素で効率的な政府を実現するための行政改革の推進に関する法律」
です。
同法では、
第五十五条 政府は、平成二十二年四月一日におけるすべての地方公共団体を通じた地方公務員の総数が平成十七年四月一日における当該数からその千分の四十六に相当する数以上の純減をさせたものとなるよう、地方公共団体に対し、職員数の厳格な管理を要請するとともに、必要な助言その他の協力を行うものとする。
2 政府は、前項の規定の趣旨に照らして、地方公務員の配置に関し国が定める基準を見直すほか、地方公共団体の事務及び事業に係る施策については、地方公務員の増員をもたらすことのないよう努めるものとする。
3 政府及び地方公共団体は、公立学校の教職員(公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律 (昭和三十三年法律第百十六号)第二条第三項 に規定する教職員及び公立高等学校の適正配置及び教職員定数の標準等に関する法律 (昭和三十六年法律第百八十八号)第二条第一項 に規定する教職員をいう。)その他の職員の総数について、児童及び生徒の減少に見合う数を上回る数の純減をさせるため必要な措置を講ずるものとする。
4 地方公共団体は、地方分権の進展に伴い、より自主的かつ主体的に行政改革を推進する必要があることに留意しつつ、その事務及び事業の必要性の有無及び実施主体の在り方について事務及び事業の内容及び性質に応じた分類、整理等の仕分けを踏まえた検討を行うとともに、職員数を厳格に管理するものとする。
5 地方公共団体は、公立の大学及び地方公営企業について、組織形態の在り方を見直し、公立大学法人(地方独立行政法人法 (平成十五年法律第百十八号)第六十八条第一項 に規定する公立大学法人をいう。以下この項において同じ。)又は一般地方独立行政法人(同法第五十五条 に規定する一般地方独立行政法人をいい、公立大学法人を除く。)その他の法人への移行を推進するものとする。
地方公共団体公務員の定数削減、公立大学の法人化です。
この法律が「官製ワーキングプア」とよばれる劣悪な条件での非常勤図書館員雇用、指定管理者制度の「活用」へと「誘導」していくのです。
この法をみると「地方分権」とは全くの名ばかりで、一種の強迫めいたものを感じさせます。
やれやれ…
過去は過去、そして今は?
以上、本来は「指定管理者」として“ありえなかった”はずの「公立図書館」が“なってしまった”いきさつを推論してきました。
私は、行政学・法令に照らして、公立図書館を指定管理者に委ねるということは、やはり適法ではないと改めて主張します。
ただし、私自身としては、現に存在する指定管理者図書館を否定するつもりはありません。その理由は5つ。
- 指定管理者制度が開始され、10年近くが経過し指定管理者図書館も住民に親しまれ根付いた観がある。これを認めることが自然な流れであること
- いずれの指定管理者図書館も、地方自治法に基づき条例制定等必要な手続き・手順をふんでいること(と思う=希望的観測)
- 千代田区に代表されるように、指定管理者による公立図書館が、従来の公立図書館にはない新機軸・サービスを打ち出し、図書館界を活気づけていること
- 労働・雇用について課題は残るものの、まがりなりにも指定管理者が「司書」配置を進めていることから、司書職普及率に貢献していること。
- 図書館界全体、わけてもオピニオン・リーダーたる日本図書館協会・図書館問題研究会等が、地方自治法・社会教育法など指定管理者制度と周辺の法令知識が十分でなく“なじまない論”に徹し、疑義を問題提起しなかったという「不作為の責任」があること
日本図書館協会幹部は説教部屋へ!
ここにいたってから、いまさら「戦犯」をさがすことは、建設的ではありません。
ですが、日本図書館協会の言動は反省すべきことが多いです。少なくとも、以前、住基法での図書館雑誌投稿を“門前払い”された経験をもつ私からみると、図書館雑誌編集部の法解釈能力は義務教育以下です。
これまでの日本図書館協会の
・公立図書館の指定管理者制度について
http://www.jla.or.jp/demand/tabid/78/Default.aspx?itemid=531
いわゆる「なじまない論」は、法令とか地方行政について義務教育以下の知識・読解力しかない方々によるものである、というなんともむなしい結果になるわけですね。
これらの意見・声明により、図書館界の重鎮の権威が失墜し、冷静で合理的な議論が阻まれ、また現役司書のモラルハザードを生んでしまっています。
と、同時に、“公立図書館員とそこで働く司書の努力(先見性・進取性・IT乗り遅れ)が不足していた”とする「自虐的図書館史観」も、やめたほうがいいし、“公立図書館だけが狙い撃ちされている。合理化の対象になっている”という「ヒガミ」もやめたほうがいいですね。すべては図書館界の外、というより“天上の世界”で行われた結果なのですから。
図書館界新たな地平に
ただし、これを契機に公共図書館界を良い方向に導く可能性もなくはありません。
それは、日本図書館協会が「指定管理者制度」について正しい認識をもち、また図書館員が行政学を学び、図書館・社会教育行政について正しい見地から議論を進められるようにしていかなくてはなりません。
図書館教育学でも、司書講習のカリキュラムに「教育行政論」という科目を増やさないといけません。だって、図書館司書講習=公立図書館司書の養成といってもいいのですから。当面、「図書館概論」や「生涯学習概論」などの科目に「教育行政」の内容を盛り込むくらいのことはするべきでしょう。
また、勝手に「なじまない」と決め付けることで「指定管理者制度」に向き合わず、結果として
“図書館を直営か民営かで差別する”
という悪習をなくすことです。
また、住民参加・市民参加という観点から図書館活動を見直してみる、つまり「新しい公共*3」には「新しい公共図書館」がふさわしい。
建設的・公平・前向きな議論あってこそ、官民の区別なく「新しい図書館」や「望ましい図書館」を建設的かつ合目的な議論ができるというものです。
よいものはよい、悪いものは悪いという「ブルー・ホワイト・ブルー」という立場から
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告知
私から見ても未練がましいこのブログは、10月末を目途に無期限休止する予定です。「愚か者図書館員の記録」として、一定期間は公開しますが、休止してからの主宰者からコメント返し等一切活動はいたしません。あらかじめ、ご了承ください*5。
残りあと2〜3エントリ出す予定ですが、図書館司書としての「自らのふりかえり」と「若い図書館員に託したいこと」そんなところでしょうか…
*1:筆者注
*2:http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/renaissance/2pdf/3.pdf、P6-7
*3:http://www5.cao.go.jp/npc/index.html
*4:あぁ、今回もオチはAKB48か
*5:つまり、「ツッコミは、お早めに」ということさ