文芸という名の芸に奔り、リテラシーを忘れる…

少し前の話題ですが、総務省自治行政局選挙部管理課が「常時啓発事業のあり方等研究会」最終報告書を公表しています。

「常時啓発事業のあり方等研究会」最終報告書の公表(平成24年1月10日
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01gyosei15_02000033.html

サブタイトルは、

社会に参加し、自ら考え、自ら判断する主権者を目指して
〜新たなステージ「主権者教育」へ〜

「まえがき」では

本研究会は、以上のような状況を踏まえ、時代に即した新しい「社会に参加し、自ら考え、自ら判断する」主権者の姿を念頭に、常時啓発のあり方について検討を行ってきた。7月には中間取りまとめを行い、さらに議論を重ね、このたび、最終的な取りまとめを行ったので、ここに報告を行うものである。

とあります。あまり面白くもなさそうな文章ですが、要するに
「選挙へいこう」
ということですね。
さて、本文をめくると新鮮に感じたのが

政治的リテラシー

という言葉ですね。あまり聞き慣れない言葉なので試しにGoogleで検索をかけてみたら、それなりの件数がHITしたけれども、流通は限定的に感じました。ちなみに件の総務省の資料には括弧書きで

政治的判断能力

と書いてあるものもありました。
ならばそう書けばいいのに、なんて思ったりもしますが、今日では、「メディア・リテラシー」とか「情報リテラシー」などと、“リテラシー”というのが流行しているラシー。
で、政治的リテラシーの内容はといえば、

情報を収集し、的確に読み解き、考察し、判断する

これでは、単なる“(情報)リテラシー”じゃねぇか、などと思ったりもしますが…
ならば、どのような情報に接するか、という点や、そもそもリテラシーを行なう場としての「図書館」の意義付けが与えられてもいいような気がします。
しかしながら、このブログを続けてきた私からすると、

図書館員のリテラシー

には、疑問符がつけられるからです。
たしかに、それなり学歴があり、文芸に関心がある方は図書館員に多いと思いますし、私も、それには率直に敬意を表したいと思います。
では、なにゆえ図書館員の“リテラシー”に疑問を持つか、といえば法令等を読解(=読んで解釈する)能力が決定的に劣っているとしか思えないからですね。このブログ主宰者としては*1
まぁ、“文芸に通ず”といえば結構だけど、“文芸という「芸」”に奔っただけ、という風にもみえなくはないですね。

あれ、で「本題」のことですが、常時啓発〜選挙に行こう〜のことですが…
行政があれこれ述べたところで、投票率がそうは簡単にあがるとは思えません。
むしろ、

・平成22年国民生活基礎調査の概況>4 世帯別の所得の状況
 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa10/2-4.html

によれば、国民一世帯あたり年収の「中央値」は438万円ですから、それと国会議員の歳費とか地方自治体の首長の給与を表示して、読み書きじゃなくソロバン、つまり

勘定問題

にしてしまえば、と思います。
数字ならば、やれ貸出密度などの数字を重視する(ありがちな)図書館員もこれならばOKさ!
ということで…

*1:反論する向きもあろうが、日本図書館協会のエリートたる図書館雑誌編集部が http://d.hatena.ne.jp/hatekupo/20101226/1293366142 のようなご覧の有様では弁解の余地ナシだ