Das gibt’s nur einmal〜人生でただ一度だけの〜

金木犀

遅咲きの金木犀の香りが漂います。
私の勤め先の図書館にも構内に金木犀が植わっていましたし、街路樹にはイチョウ並木が続いてました。
金木犀の花が香る頃、イチョウには銀杏が実る頃でもありました。道路に落ちた銀杏を移動図書館(=BM)は、容赦なく踏みつけ、その果肉と臭いをタイヤに付着させて車庫に入りましたから、あたりは両方の香りと臭いで満たされ、さながら(水洗式でない)トイレのような空気が漂っていました。

私の手元には、ウン十年前の11月1日に教育長からもらった一枚の紙があります。
内容はいたってシンプル。次の一行

司書職を命ず

そう、夏のあいだ「司書講習」を受講した私が、名実ともに図書館法でいう「司書」に就いた辞令です。この辞令こそが司書職たる証であったわけです。

1枚の紙切れに過ぎません。しかし、私の人生では重みのある、重要なものでありました。
「図書館は人の生き死にに関わらない」かどうか、語っておられる方がいらっしゃいましたけど、たった1枚の紙きれひとつで人生に影響をもたらすのですから、それらが数多く重ねられ帳合・製本されたもの〜本が影響をもたらさないはずがありません。
かくいう私も、小学校低学年のころ市立図書館で読んだ本
『しょうぼうじどうしゃじぷた』
に、当時小柄の体格だった私は、おおいに感動し、インスパイアされた結果、非常勤の消防団員になると同時に「司書」にもなったのです。
カウンターに立つ図書館員は、その職の中で何回本を貸すのでしょうか?
その中に、その利用者にとって重大な意味をもっているものがないはずがない、という体験を私はしています。
そして、それを目の当たりにした私は幸せ者です。
たった一度だけ、忘れられないサービスをした、という点でも…

紫陽花

私の司書としての仕事は「移動図書館=BM」からでした。
ツールを慣れた手つきで如意にあやつり、質問をさばきまくるレファレンス・ライブラリアンを夢見ていましたから、これにはガッカリしてしまいました。
BMはなぜ「Out of 興味」だったかといえば、目録もないし、分類しているけど配列は(車両の構造上)めちゃくちゃだし、正直「図書館」とは思えなかったからです。
おまけに、BMは当時“いつ廃止されてもおかしくない”と館長からも言われていたし、他の図書館員からは、
「BMなんかにまわすカネ(=資料費)があれば、本館を充実できるんだけど…」
という発言もあからさまに言われ、こちらから見ると自分の陣地からタマが飛んでくるような感じでしたね。
そうなると、逆に負けず魂に火がつきます。BMでステーション(=巡回して貸出するポイント)に行けば、公園でおしゃべりしているお母さん方のあいだに割って入り、キャッチ・セールスよろしく読書普及をしたりして、ねじり鉢巻でやってましたわ。

で、さてステーションの中に、利用者がゼロに等しい、そんな場所がいくつかありました。
前任者のハナシでは…
「貸出しばかりしていると、くたびれるだろ。だからこういう(お客のいない)ステーションをつくって、一服するんだよ」
などという、どこまで本気なんだか冗談なのかわからない説明だから、「青年将校」としては実に不本意、というか気に入らん、けしからん、と思ってましたっけ。
件のステーションの傍らには古(いにしえ)の豪族が、自らの死後もその権力を誇示するために築かれた巨大な墓=古墳があり、築一千年の時を経て木茂り草生して、自然回帰しつつあるように思えましたし、お稲荷さんが祀られていて少しばかり昼なおミステリアスな場所でした。
こんなステーションはリストラして、と考えていたそのころ、そのような閑散としたステーションで私はある「利用者」とかかわりあいをもつようになります。
その人(=利用者本人ではない)が出現したのは、お稲荷さんの紫陽花が花咲く頃だったと思います。その方は、年金生活者と思われる初老の紳士で
「家内に頼まれてきた。本を貸してくれ」
ええ、そりゃもうこちとらそれが商売(ビジネス)なもんで…ところで何の本をお望みで?
「わからないから、あなたが決めてくれ」
???
「家内がいっていたよ。ここにくる図書館の人に頼めば大丈夫だと…」
まぁ、実のところ自分で本を選ばず、私のすすめる本だけ借りる、という方は少なくなく、また大きな声じゃいえませんが、私としてもそれを「得意」としていたところだったけど、このステーションではそういう方はいなかったように思えるけど…
まぁ、最近読んだ本とか、好きなジャンルとか作家とか訊ねてはみても、まったく要領をえない、覚悟をきめるしかないですね。
私は、二点お願いしました。

  • 気にいらん本があっても文句を云わないこと
  • 借りた本10冊の中で、一番よかったものと読まなかった本をあとで教えてくれ

後者は、私がよくやったパターンです。ゴルゴ13のように「一撃必中」を狙うのではなく、むしろ帝国海軍の戦艦の砲撃〜(遠距離なので)最初からの撃った弾は命中を期待しない。着弾地点と目標の「差」を測りながら修正していく〜に似ています。
けれども、諸元なぞ無きに等しいから、まったくの暗闇にむけて撃つしかないけど、年代・性別を考慮してワザとばらまくように撃つ(=貸し出す)、これならば下手な鉄砲なんとやらで「当たり」の一つでも出れば儲けもの、ということで切り抜けましたけど。

で、次の週「ダンチャーク(弾着)!」と戦艦の砲術長のような独り言(むろん想像だが)をほざきながら、件のステーションへ。
行くと、もう相手は待ってました。
早速、「感想」を訊くと…
「全部読んだ、全部面白かった」
そう伝えてくれとのこと。
はて、私はバラまくように貸出したのだから、
「初弾全弾命中!」
なんてコトはありえない、と思っていましたから、この反応には驚きました。
よくあるように、「驚き」は往々にして「疑心暗鬼」をよびます。
「本当に?」
と、念を押しても相手の答えはかわらない、というより「伝聞」にすぎないのだから、確かめようもない。
そして、その日も同じように本を貸しました。

彼岸花

私は当初、コトの重大さに気がつきませんでした。たまさかの気まぐれみたいなもので、そのうち飽きるか、他所にいくだろう、とか…
でも、その後も律儀に男は現れ、本を返し借りていくのです。私はあれこれ思いをめぐらしながら本を選び、彼はそれをタバコ吸いながらのんびりと待っていましたっけ。
まぁ、楽しくもあり、不気味でもあり、おかしな仕事ですが、だんだん「重荷」になってきます。と、申しますのは回数を重ねると、前にお貸しした本を再び貸してしまう。つまり“カブる”おそれが高くなるからですね。
そこで、私はお愛想のつもりで
「今度お二人でいらしてくださいよ」
と、頼んでみました。すると彼は
「ないよ!」
と一刀両断に言葉を返し、続けて
「入院しているから…」
と、その“理由”を簡潔に語りました。
ならば、
「それでは、ぜひ、お元気になっていただいて…」
“いらしてくださいな”という下の句まで言わせるいとまもなく、かぶせるように、再び
「ないよ!」
そのあと一呼吸おいてから、
「もう治らん病気だ。退院することもない。医者はあと半年もてばいい、といわれたよ」
気負いもなく淡々とした答えが返ってきました。
思わず、目のやり場に困り、相手から目を背けた先には、毒々しいまで鮮やかな彼岸花が咲いていました。

梅は匂い

そうと決まったら、全力投球しかありませんね。
小手先の技術だけでなく、「物量作戦」。新刊を片っ端からリストにしてしまい、彼に「予約・リクエストカード」を渡して、どんどん本人に頼むようにお願いしました(なぜ、これをもっと早い時点でやらなかったのか、私はいまでも後悔している)。
病人とは思えない達筆で書かれた「予約・リクエストカード」が出されると、私のいままでの「砲撃」は“当りとはいわねど遠からじ”であったことを知り、胸をなでおろしたものです。
ただし「リクエスト」だけですべてが足りるわけではありませんでした。彼いわく
「家内は(あなたが)選んでくれる本を楽しみにしている」
とのことであり、そしていつも、私はあれこれ本を選び、彼はニコニコしながらタバコをふかして待っている、そんな風景が繰り返されました。

「異変」は、その「風景」がずっとくりかえし続くように思われたある日、訪れました。
前兆はあったのです。
その数回前から、毎回必ず出された「予約・リクエストカード」が、パタっと途切れてしまったからです。用紙がなくなってしまったのか、と訊ねてみると
「今から出しても…」
と、一言。それでじゅうぶん意思が伝わってきました。「…」のあとに続くのは、
“もう、間に合わないかもしれない”
ということが…

そして、3月7日(この日付だけは忘れたことがない。今でもカレンダーを見るとあの頃のことを思い出す)。
ステーションでBMを待っていた彼の様子がいつもと違う!
あいさつもそこそこに
「すぐに用意してくれ! 時間がないんだ!!」
いつものタバコ吸って、のんびりしている様子とは一変して…
「医者には危篤だといわれている! 病院から外へ出ないで待機していろといわれている!」
そこでため息交じりの息をついてから、
「それでもアイツは、“死ぬまで本を読む、最後の最後まで本を読む、だからいつもと同じように(BMに)行ってきてほしい”といっているんだ! 頼む、急いでくれ!」


その後ずいぶんと図書館でメシを食わせてもらいましたが、あのときほど緊張したことはありませんでした。今思い返すだけで背筋が凍るような思いです。
一人の熱烈な愛読家が、今生の別れに、一生の最後に手にする本、それをこの私が今すぐに!!
なにを貸したか、なんてまったく覚えていない、記憶にあるのは、緊張のあまりバーコードスキャナーとか利用カードを滑って何度となく手落としたりしたことぐらい。
本をバックに詰め、やっとの思いで手渡す。とっさにその場に咲いていた梅の枝を一折りして渡す(持ち主の人すみません)。
あとは、その場にヘナヘナとへたりこんでしまい、運転手の
「時間だよ」
で、ようやく我にかえりました…

タンポポ

で、次の巡回も、その次も彼は来ませんでした。桜が咲き、散って、若芽が芽吹いても…
そして…
督促リストに彼(ら)の名前が出てきました。
私は、ふと思い立って、住民票の係に頼んで「住民基本台帳コンピュータ」を使わせてもらいました(いまなら、ご法度かもしれないが、当時は「督促リスト」さえ持っていけばカンタンに使わせてくれました)。
氏名・生年月日を入力して…世帯主とおぼしき彼の世帯画面を見ると、「妻」の欄に
「平成×年3月7日死亡、平成×年3月8日届出」
との記述が…
「やっぱり、あの日に…」
ご臨終には間に合っただろうか、図書館が原因で死に目に逢えなかったらお気の毒だ、いろいろ思いを巡らせていると、
住民係のオバサ…じゃない女性職員が怖い顔して
「いつまで、そこにいるつもりなのよ!」

次の巡回日。
いつもに戻ったかのように、彼は待っていました。
でも今までとは違うのは、返却だけということ…

私は深々と一礼。彼もそれで意思が通じたらしい、余分な会話は必要ない、
「ありがとう」
と、本を差し出す。

それから私は彼がいつもそうしていたのと同じように縁石に腰掛け、並んでタバコをふかしていました。
ひばりが鳴いていて、鳥鳴き彼の目に涙なし。なにか重要な仕事を成し遂げたあとのように満足した彼の横顔に目をやって…
「最後まで本が好きだったヤツだったよ。あなたのおかげで喜んでもらえた。」
このセリフを聞いて、私は前から抱いていた“疑問”が“確信に近いもの”に変わりました。
入院生活、実直だが不器用そうな初老の男性にできることといっても、そう多くないだろうが、彼は妻のためにベストを尽くしたいと思っただろうし、奥さまはそんな初老の男になにか頼めることといえば…
お互い、タバコを吸い終わり、立ち上がろうとした瞬間、私は自分なりの“推理”を口に出そうと決意しました。
「あの…」
そのあと、言葉は続かなかったのです。突然一陣の風が吹きぬけ、私の口にはタンポポの種が入って咳き込んでしまったからです。まるで、
「それはいわないで…」
という声が、風に乗ってどこからか聞こえたような気がしました。
ようやく立ち上がった私に、彼は利用者カードを差し出しました。
「もう、使わないから」
(持ち主無き)不用なカードは回収するのが決まりです。
でも、“持ち主”はいなくなったわけではなく、ご主人の心の中に在り続けるのです…
私は大きくかぶりをふり、カードを持った手を押し戻しました。
「このカードは、奥さまのものですよ。今までも、そして、これからも…」
彼はほっとしたようにカードを大事そうに胸ポケットにしまいながら、
「そう、させてもらいます。明日は家内の納骨日。骨といっしょに納めてきます」
ハンチング帽を脱いで深々と一礼し、微笑みながら帽子をかぶって帰っていく彼の背中に、私は心中でさきほど云えなかった言葉を語りかけました。
「ご主人、奥さまが愛していたのは本ではありません。それを借りに来るあなたの優しさ、心遣い、とにかくあなた自身こそが大切だったのです。」
と…*1

*1:このハナシ、自分でも出来過ぎの観が否めないので、自分でも怪しくなり、先日10年以上の時を経て、件の場所にいってみた。運転手さんにのせてもらう「BM」と自分で運転する「W」を加えた車では相当に勝手が違ったけど、なんとか目的の場所にたどり着いた。全部が全部というワケでもないがほとんど変わっていなかった。お稲荷さんの社も健在だった。帰りにむしょうに「稲荷寿し」が食べたくなり、スーパーでたらふく買って食べたから、キツネ(おいなりさん)につままれたワケではないけど、“一杯喰わされた”ことは事実である