「公の施設」である公共図書館の職員もまた「公の存在」である

考えたところでなんの儲けもならない、が…

前にも書いたことですが、よもやこの私が「心の病」になるとは思いもよらぬことでした。
“なぜ、そんかことになっちゃったのかなぁ〜?”
などとあまり突き詰めて考えるべきではないのでしょうし、“なっちゃった”今頃になってから考えてもなんの儲けにもなりませんけど、いろいろ考えずにはいられないのが、案外“この手の病気”の所以ともいえましょう。

やはり、キーになるのは「環境の変化」。すなわち長きにわたる図書館生活(もっとも糸賀先生*1のおっしゃる「図書館類似施設」の方が長いわけですが)から足を洗い、教育委員会所管の図書館から、首長部局に異動したことは大きかったように思えます。
実際、

・今頃になって“司書のほこり”とはなぁ…(2010-04-25)
 http://d.hatena.ne.jp/hatekupo/20100425/1272206408

弱音を吐く場面もありましたが、

・「対立の構図」は公共図書館職員の“心の叫び”〜おかげさまで今日でブログ開設1周年〜(2010-07-25)
 http://d.hatena.ne.jp/hatekupo/20100723/1279835263

乗り越えたようにも思ったんですがね…

カウンターを離れれば“ただの人”のはずだけど…

  • 「断髪の思いで」といいますが、自分自身がふっきれたつもりでいました。
  • 司書はカウンターを離れれば、ただの人だと思ってました。

どちらも楽観的な予想に過ぎました。
私の職場は市庁舎の1Fにあります。私自身窓口に立つことだってありますから、当然人目に付きます。ですから、たまに図書館時代のお得意さんと顔を合わせたり声をかけていただくことも多いです。
中には…
「なんだい、なんでアンタ、こんな場所にいるんだい。悪いけどアンタにはこんな場所なんか似合わないんだからね!
こんな場所で働くの仕舞にして、さっさと戻ってきなよ!!」

そう、まくしたてたオバサ…じゃない中年女性もいました。口が悪いのはこの県独特のもので、言外に惜別と敬意を表してくれるのです。それはありがたいけど、あまり「こんな場所なんか…」を連発すると周囲の同僚の目が気になります。
いちばん、こたえたのは、保育所の親子連れとあったときです(私は月に一度保育所のみんなを来館させて、紙芝居、映画、読み聞かせをやっておりました)。
「その節は、大変おせわになりました。娘がどうしても会いたいといって…。また、かくれんぼうの本(↓これのことだろう)

もりのかくれんぼう (ビッグブック)

もりのかくれんぼう (ビッグブック)

ご本読んでほしいって、聞かないんですよ…」
それでわざわざその親子は市庁舎まで来たのか…そして今度は娘に向かって
「ほら、おじさんもう働いているでしょう。もう本は読んでもらえないのよ。残念だけど、これでわかったでしょう。」
あのときの女の子の表情は忘れられません。

自分自身がふっきれればいいというのも、カウンターを離れればただの人だというのも、すべては自分の思い込みのように思えてきました。あまりに自己本位・自己中心的であったことも…

公共図書館の職員は「公の存在」

私は、図書館司書講習をずいぶん前に受講したので、当時と今とでは違うと思いますが…
図書館の構成要素=資料・施設・職員
と教わったような…
そう、図書館職員は図書館の構成要素の一つをなすものなのです。
それを、長年の図書館生活で省みることもなく、今頃になってようやく気がつくとは…

*1:糸賀先生の「認定司書制度の開始にあたって」にあった“少なくとも、正規職員の司書の配置が減少するなかで「必勝」とは言えないまでも「このまま負け続けない」ために打つべき一手”という言いまわしが、某政権政党の「仕分け人」の“世界一位でなければダメですか?”というセリフとダブってしかたないのですが