MLA連携の停滞にみる「武士の一所懸命」と「図書官人の縄張り意識」

むかしむかしのことです。中学生の学級日誌に
“みんな一生懸命に自習してました”
という大ウソ(“自習”を本当に真剣にやっているワケないじゃん)を書いて、先生に赤ペンで“一生懸命”を“一所懸命”に訂正されました。
もっとも今では、“一生懸命”も認知されているようで、コトバの変化を感じます。


で、さて、昨日に続いて「MLA連携」なのですが、この「MLA連携」なる語は、いつのころからつかわれはじまたのでせうか? 識者の方に教えを乞いたいところです。
というのも、この「MLA連携」そのものの意義は疑う余地はないのですが、大昔から図書館法第三条第一項第九号(学校、博物館、公民館、研究所等と緊密に連絡し、協力すること)として規定済みの内容であって、それを今更「MLA連携」という言葉で語るのは、議論のすりかえ的なにおいを感じてしまいます。
同時にそれは
M…博物館
L…図書館
A…文書館
相互の敷居の高さ、すなわち昨日書いたように
各々の設置主体との関係〜組織上教育委員会、長部局のいずれかに属しているか〜から発生する官僚主義の発露・垣根問題があると思われるからです。

で、話は最初に戻って…
“一所懸命”という言葉、“一生懸命”へと変化する中で、勤勉さ・一途さを表す美しく尊い・あらまほしきものとして語られています。
が、政治体制・経済体制が中世とはまったくことなる今日、「武士の一所懸命」とか「一所懸命の土地」という言葉だけをみると、後者はエゴイズム・キャピタリズムに近い俗々しさを感じますし、「一所懸命」という言葉自体、「一所だけしか関心をもたない」という料簡の狭さ、縄張り意識を感じてしまいます。
私は前々から、
“我が国は武士・士族がそのまま官吏・官僚に移行した”
という印象があります。(武士の縄張り意識は、目的を同一とする機能集団相互でも頻発します。昭和の陸海軍の不和はその好例)

ところで、いまのMLA、いずれも指定管理者が進行しつつあります。この変化、“武士・士族の一所懸命”というモットーから、“民間”による前例だの垣根にとらわれない自由な発想により、MLA相互の気軽で実際的な交流が活発化するような、そんな期待をしてみます。過度の期待はしませんが、少なくとも「図書官人」には無理かと。最近発表されたJLAの“「図書館の設置及び運営上望ましい基準」策定についての意見”でもMLA連携についてはスルーですからね。

ちなみに「図書官人」とは…

としょかん−じん【図書官人】

  1. 官僚主義の手法をもとに、または官僚主義のもたらす弊害を考慮することなく、公共図書館を運営する人またはその態度
  2. 官尊民卑あるいは本領安堵、既得権維持の立場から、公共図書館における指定管理者導入・民間委託化を機械的に反対する個人または法人

はてな市民権を得た記念に、はてなキーワードに登録しようかと思いましたが、面倒な先例もあることゆえ、見送ることにしました、