「入会地」ならぬ「入会知」の時代では

本来であればtwitterあたりでつぶやくのが関の山のネタではありますが、やはり文字数オーバーのためにエントリあげます。
当日は残念ながら市役場の「当直」というお役目で参加できませんでしたが、

・第十回Wikiばな - 知の越境、そして、すばらしきムダ知識へ
 http://wikibana.socoda.net/wiki.cgi?%c2%e8%bd%bd%b2%f3Wiki%a4%d0%a4%ca

かたつむりさんことid:min2-flyの発表

・「専門知は意外と使われる?!」(第十回Wikiばなライトニングトーク
 http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20100614/1276471492

まずは、“意外と使われる”ということに、こちらもビックリしてしまいました。
が、今や一介の市民がインターネットであらゆる情報に接近し活用する時代ですから、
“驚くに値しないかも”
と考えたりもします(もちろん、それを述べるだけでなく、具体的に実証してみせたmin2-flyさんには高い評価が与えられるべきと思いますし、私は賛辞*1を惜しみません)。

で、これからの「知」とはどうなるのでしょうかといえば、
「専門知 VS 一般知(公有知)」のヒエラルキーもなければ、垣根(責任表示)などもなくなってしまい、さながら
「入会地」ならぬ「入会知」の時代
となるやもしれませんね。
さながら入会地のように、住民だれしもが分け入り山菜やキノコを採ったり、イノシシを猟することもできるわけです。

で、ところで元ネタ「入会地」を英語になおしてみると…
(ローカル:local)コモンズ:commons
かぁ、なぁんだ、面白くない。

そうなると次の関心事は
「コモンズの悲劇」
すなわち、オープンアクセスの共有地における共有資源(=情報)が乱獲されることによって資源の枯渇を招いてしまうような事態がおこりえるかということです。

ネットコモンズの時代ではありますが、「入会地=コモンズ」とは、わが国の「入会地」は旧地方自治法時代の遺物ともいうべき古の時代のものです。
また、「入会地=コモンズの悲劇」は、もはや経済学上法則化される概念となりましたが、同時にコモンズとは、もはや真の意味で制度としては実現不可能にも等しい「共産主義(しかも原始的な)」的な世界ということになれば、課題は多いと思います

*1:山田く〜ん、かたつむりさんにペプシNEXT一枚やんなさ〜い