ワグナーに耳を傾けながら、日本図書館(界)協会を憂う

「Wilhelm Richard Wagner」といえば、数多な歌劇の名作を生んでおりますが、残念ながら彼のファン、ワグネリアンといえば、かのアドルフ・ヒトラーや、「狂王」ルートヴィヒ2世などがあげられるため、個人的には敬遠しがちでした。
が、今日部屋の隅からワグナーの名曲集のCDが出てきて、それを聴きながら日曜日の午後を過ごしているところです。

ワルキューレの寄稿(奇行)

昨日、日本図書館協会図書館雑誌」に投稿いたしました。10年以上、個人会員として購読してきた私としては「空前」にして「絶後」になると思います。
なぜかといえば、

図書館雑誌 2010年10月号(Vol.104 No.10)
 http://www.jla.or.jp/publish/bindex.html

所載の『督促』と称するコラム<窓>について。
図書館の督促事務にかかる住民票請求について、住民票を交付する職にある著者の経験を交えて語っている内容のこと。
この中で、督促者の住所追跡のため、図書館から住民票を請求された執筆者が
「図書館からの請求には根拠法令が書かれてなかったので、あえなく返戻することになった。」
という取り扱いが、住民基本台帳法に照らして不当な扱いであるということを指摘したものです。
個人攻撃は避けたいので、投書そのものには書きませんでしたが、元図書館司書である執筆者の「お役所仕事以下のお役所仕事ぶり」は、K県Y市において大変な損失です。
住民基本台帳法に基づく住民票の交付を職務とする執筆者が、その職責において理解しておくべき同法への知見・解釈の勘違いで、図書館の督促事務が妨げられ、結果、資料の有効な利活用と、利用者の公平な利用が妨げられたことです。その経験を自慢そうに語っている執筆者の言動は、欽定憲法以前の薩長政府の官吏のような傲慢さが感じられます。
おそらく、この方が司書をつとめておられたときは、
「ふむ、本を借りたいと申すか。ならば貸して使わすぞ」
という態度で接していたにちがいないとも思いました。
投稿したのは、「CHATTER BOX」という読者のコラムです。
この欄では、昨年ごろだと思いますが、平成の世に「カード目録」の復活をいいだした方がおられ、笑いの種になったこともありますが、それよりまともな意見ではあっても、問題研究会の代表を務められたやんごとなきお方にご意見申し上げるワケですから、畏れ多いことこのうえないですし、編集部もトチ狂ったクレーマーの所業と決めつけ、ボツになる可能性は高いです。
ま、自分としてはクレーマーに近い存在を自認しますが、一方で
川を
越え、高き
峰を
子(こ)えようとする
登山者(クライマー)であると思っています。

「紙々の黄昏」と「オンラインの黄金

それで、昨日は原稿をわざわざプリントアウトして、郵便切手を貼って、出してきました。
「CHATTER BOX」とは、「おしゃべり箱」と訳してもよろしいかと思いますが、ずいぶんと手間のかかる「おしゃべりだなぁ」と思いました。
ちなみに、あとで別の号を見るとFAXでもよいとのこと。それにしても、いまどきE-mailでは不可とは、いかにも「紙に仕える協会」にふさわしくあるのですが、図書館雑誌編集部は本気で「会員のおしゃべり」を活発にしようとは思っていないように思えます。現に「CHATTER BOX」、2010年は4.5.6.7.8月号は掲載がありませんでした。
数年前、日本図書館協会財政の困窮の中で、「図書館雑誌」のページ削減と会費値上げが同時に行われたこともありました。おそらく、編集部にとって
「一応、会員の声を載せる制度はありますヨ」
という、半ば「アリバイ的」なコーナーなのかもしれません。
おそらく、私の投稿もボツ(=黙殺)されるでしょうな。
ところで、「黙殺」といえば、日本図書館協会及び「自由委員会」は、いつまで「岡崎事件」を黙殺するつもりでしょうか?
「自由委員会」には、図書館員のタマシイ云々を一所懸命やっていらした方もいるようですが、どうやら「図書館の自由」が仮想敵とみなしていた「官憲」が介入する事態になってもなお、「沈黙」を守るのようでは、どうやら「タマシイ」はメフィストヘレスに売り渡してしまったようです。おそらく契約の内容は「公務職場としての司書の現状維持」あたりでしょうか…
一方、この問題、オンラインではかなり活発な議論が繰り広げられたのは、よろこばしいことです。一番新しい(と思われる「まとめ」ですが…

岡崎市立中央図書館事件関連リンク(taronの日記2010-10-22)
 http://d.hatena.ne.jp/taron/20101022#p8

光栄なことに、我がエントリーもエントリーしています(笑・にしても、ややこしいな)。ついでに言わせてもらえば、この件について、ずいぶんブクマをいただきました。ありがたいのですが、どうもブクマされた方々はSEの方々が多いようでした。図書館人はやはり関心が(比較的)薄いようです。

さまよえる図書館人

librahack事件、正直なところ、私が現役であったならば絶対「黙殺」したと思います。
というのも、「librahack氏事件」は、librahack氏は無意識に、いまの図書館(人)の現状と将来の問題点を、無意識のうちに指摘してみせたからです。
そもそも、「事件」は現行OPACに飽き足らず、自分なりに新着情報を入手する「仕掛け」をつくろうとしておこりました。図書館の用意した情報提供を超える試みを行う市民があらわれたのです。
かつて、ルターは宗教改革で「万人祭司説」を唱えました。周知のとおり、“民と神が直接つながれば、市民と神とのあいだをとりもつ「司祭」は不要”というものです。そのひそみにならえば、市民が直接情報源や著作物とダイレクトになれば、「司書」なぞ不要になる、「万人司書説」の序章ともいえます。
「司書」自身が自らの存在理由を認め、力説しても、社会がそれを要しない時代もあり得ると思います。一部の図書館人はそれに気がついており、自分なりに変革したり、司書のあり方について再検討しようとしています。が、大方の図書館人は他動的に時代の流れの中で漂流する存在になり果てるとも思えますが…

大行進曲(?)

聴いているワグナーのCD、リピートも3回目くらいになり、一曲目の「タンホイザー序曲」に戻っています。
責任転嫁になりますが、どうも、ワグナーは自分にとって壮大にすぎ、大言壮語にさせてしまうように思えます。
聡明で美しい方であれば

彼は決して精神病ではありません。ただ夢を見ていただけでした。〜Elisabeth Amalie Eugenie

こう弁護してくれたでしょう。
来月号の図書館雑誌、特集は「これからの日本図書館協会」だそうです。
ワグナーのCDは「タンホイザー大行進曲」に移りました。
歌詞の内容と、私が(かつて)期待した日本図書館協会のすがたがダブります。
CDは輸入盤ですので、私の拙い訳文でありますが、歌詞を紹介します。
喜び勇んで、私たちはこの貴い殿堂にあいさつをおくる。
この場に、芸術と平和は永遠なれ!
喜ばしき声は、絶えることなく続け!

と、ここまではよかったのですが、最後の一節は無理でした。
日本図書館協会の領主たる理事長、Heil!
やはり、私には喜歌劇「こうもり」の方があっているようです。
“忘れたいことを忘れられる人は幸せ…”