司書にとって、図書館学は不要ではない。更新しない司書が図書館学を不要にしてしまう。

先日のエントリでは、またしても総スカンを喰らうことを予定して今日のエントリを出すつもりでしたが、果たせるかな案外肯定的なご意見をいただき、自分としては嬉しくもありはします。
とにかく、専門職たる以上、専門知が必要なことは論をまたないことで、そのあたりでのツッコミがなかったのは、良識をもってくださる方が多いことは安堵しましたし、喜ばしいことです*1
で、今日はまた物議を醸すことですが、
現場において、専門知としての図書館学(ここでは便宜上、図書館法等の法規に基づく司書養成課程において行われる課目群にしぼって考えます)がどれだけ必要かと思い返してみます。
遺憾ながら、ついに独立したレファレンスカウンターに常駐できずに終わってしまった私の場合、つかみですが、約1割ぐらいしか使わなかったと…無念です!
自分で自己否定するのは、さすがに凹みますが、案外世の中ってそんなものかと思ってしまいますし、ある意味それだけムダ…じゃなく「冗長性」というものが必要なのです。
なぜ、今日は突然そんな話をしたかといえば、じつは昨日ケータイの機種変更をいたしました。3〜4年前の機種だけに、無理して使っていましたが、お別れです。合掌。
そうしたら、すっかり日焼けして変色したトリセツが出てきまして、最後だからとブラウジングしてみると、
「こんな、機能もあったのか!」
と、ただ驚くばかりでした。そういえば、パソコンについてもしかり、過去3回、「自らのバカさ故の」、「認めたくない」過ちというもので、今は3台目ですが、各種プログラムや機能、ほとんど使ってませんでしたね。“必要とされる能力”と“現実に使った実績・効果”とは、そんなものかもしれません。
司書講習については、もうひとつ、私が無知なのでしょうし、アンテナも低いのでしょうけど、カリキュラムは案外かわっているものです。それは、

・図書館法施行規則
 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25F03501000027.html

を見ると、明らかです。
ところが、私は現場で10数年あまり、現役の司書のあいだから、この司書講習科目の変更の話題が出たことがほとんどなかったこと、今更気がつきました。

飛躍しますが、私は図書館司書というものは、図書館という機構(システム)のアプリケーション(のひとつ)ではなく、OS(オペレーション・システム)であってほしいと願っています。
が、OSたるもの、常に「最新の情報に更新」しなければならないのですが、それを怠っている司書が多いことを残念に思います。
電子書籍などの“新アプリケーション”を組み込もうとしても、OSが古いのではお話しになりません。
また、図書館学は方法論そのものが演繹的であり、図書館情報学といった、より科学的で演繹的な学問体系へと変えていくこと。
うまくいえませんが、「認定司書制度」より、よほど「司書」全体の有用性を指し示すことになると思いますが…

*1:初期の「図書館利用者教育」が、とにかく”疑う”ことを基本にしていましたから、真面目で気鋭の図書館司書に案外、ものごとをとにかく否定的にはいる方が多い…とは、また問題発言ですが…