今更になって年賀状を配達するという(以下略)

今年にはいってお初のエントリでおます。
皆様方におかれましては、
「今年1年どうぞよろしくお願いします」
といいたいことではあるのですが、周囲の方々から
「さっさと引っ込めッ!」
という声が聴こえるようだし、それ以上に自分が自分でこの愚か者のブログに幕を引きたいと考えております。
が、その願いとは反して未だ墓碑銘を刻み終わらないという“お手上げ状態”
そんなワケで、昨年後半の移動図書館のよもやま噺から完結させておきたいと願いつつも…ご覧の有様。
さて、昨年末ずいぶん悩んだのが
「年賀状」
昨年の、というより過去形にできない「3.11」の大惨事のあとから、
“おめでとうございます”
というのも、我ながらおめでたすぎるという戸惑い。そもそも、常日頃から年賀状に「虚礼」以上の意義を見出さない者であるなら、なおさらのこと。
ただし、今年ぜひとも新年のあいさつにかこつけて、激励したいライブラリアンがおりまして…
液状化で被害を被りながらも、関東ということであまり被災地と認識されていないT県の図書館とかの中の人。このお方だけは、ぜひ年賀状を送りたいと思ったのですが、自宅住所はおろか、勤務館とはてなid*1は思い出しても本名が(本人には失礼だが)思い起こせないという、一年の始まりは痴呆のはじまりかと鬱は深まるばかり。また、勤務館に今更年賀状を出したところで、もはや時期的に
「変人扱い」
されることは明らか。…
ともあれ、せっかくだからご尊名だけはこの機会に確認しておいたら、上越長野新幹線高崎線でなじみの駅名であることが判明。そうなれば、ああ、なんだ俺が自分で配達すればいいだけの話だな、という運びとなり上京。危機管理で益々セレブとなったテーマパークに向かう人の波にまざって京葉線ホームへ。
予想通り舞浜で大勢の旅客を下した快速電車は順調に走り、新浦安へ。ここでカメラを忘れたことに気がつきました。
液状化で大惨事となった街は何事もなかったかのように普通でした。
昔の看板建築(木造2階建ての店舗を、軒を前面に出さないように装飾してビルディングのように見せかける建築様式)のように目抜き通りは立派に復旧しても、一歩横道に入るとガタガタになっているかと思ったらそうでもなさそうでした。
で、その図書館はあまりにも有名なので説明を省きますが、一部張り紙にイベント関係中止など痕跡はそれなりにありそうだったけれども、館内はあまりにも普通な光景でした。
私はかつてのエントリ

図書館の日常というものが、いかに尊く、そしてそれが破綻したときの悲しみの大きさ

を語りましたが、関係一同の見えない努力で“図書館の日常”が生き続けていることに手ごたえを感じました。

で、当のご本人は非番のよし、置いて帰りましたが、前述のとおり、
類は友をよぶとの諺どおり、自分はともかくご本人までもが、「変人」の地位を築いたのでは申し訳がたたないのだなぁ

*1:nemurigame様