学校図書館の自由は公共図書館の不自由

私はむかし、高等学校の学校司書を勤めていたことがありました。
おなじ「図書館」で「司書」として働いている中で、公共図書館学校図書館相互のあまりの差にカルチャーショックをおぼえたこと、久しぶりにこのエントリーを読んで思い出しました。

・第51回 日本図書館研究会 研究大会
 http://d.hatena.ne.jp/yoshim32/20100224/1266940490

ここで、id:yoshim32さんは
“鵜呑みにしてはいけません。”
と注意しておりますので、長良川鵜飼よろしく、いったん呑みかけた鮎を吐きだしてみようと思っております。

で、この研究大会のことですが…
山口真也准教授(沖縄国際大学
このお名前を開催案内に見出したときから、ウン十年前にタイムスリップしたかのような議論になるのではとウスウス予想していましたけどね…
私が山口センセーのお名前を知ったのはたしか5年前のこと。学校図書館問題研究会で、学校図書館の貸出記録の取り扱いのヒドさを指摘し、“図書館の自由を守る”見地からコンピュータから貸出履歴を削除することを提起なさったわけです。
今もそうですが、学校図書館においては“図書館の自由”なんてあったもんじゃないから、この指摘・提起は好感・共感をもって迎えられ、翌年には日本図書館協会学校図書館部会夏季研究集会でもとりあげられました。
で、自分としてはこのセンセーの意見。それなりの意義を認めつつも、どこか腑におちないものを感じました。

よくいえば、
“現実に則した施策”
“対症療法”

悪くいえば
“クサいものにフタ”

理由を述べます。
“知る権利”“プライバシーの保護”は基本的人権として、国民だれもが(教師と生徒という)区別なく尊重されなければならないものです。
したがって、この権利を侵害するような行為(たとえば、教員が“指導上の必要性”を理由に、貸出履歴の閲覧を求めてきたときなど)に際しては、
「履歴を残してないのでお見せできません」
と答えたいがために、履歴をコンピュータから削除したほうがいいんだぜ!
という考えはどんなものでしょう?
私個人としては、そういうかたちで“逃げる”のではなく、やはり「図書館の自由*1」について“知る権利”“プライバシー”の観点から解説する。そして図書館についての共通理解をつくりだすことが肝要と考えます。
もちろん、公共図書館以上に圧倒的に多い学校図書館臨時職員のみなさんが身分的な不平等でその意見を口にすることは勇気が必要です。もちろん知識もね。
でも、最高法規たる憲法で規定された原則を曲げるわけにはいかんでしょう。説明し議論し、図書館としての立場をなんとしてでも理解してもらわなくてはなりません。なぜかといえば、ここは学校、教育の場なんですからね。

強引なたとえばなしですが…
ガッコー村のヤマグチ村長。
村内の道路は制限速度40キロ。全員に制限速度を守らせようとして村民全員時速40キロ以上の速度で走るクルマに乗るなと全員に御沙汰を出しました。
ヤマグチ村長の愛車も耕運機(しかも数十年前の)です。
で、今回の議論ですがtwitter実況など拝見しての印象ですが、どうやらコウキョー市の高速道路にそのまんま耕運機で乗り入れてしまったようです。
現実の高速道路もそうですが、高速道路はいったん乗り入れてしまうとバックもUターンもできない。なかなか下りられない。当然ビュンビュンとばしてくる車もあるわけで…
村長、悠然と構えつつも、内心おだやかならぬものを感じたと思います。

で、センセーにはやはり学校図書館分野で御尽力いただきたいと。
たとえば、

  1. いまだにニューアークや代本板をなど使っている学校多です。このあたりをまず改善してみては
  2. どうしても「コイツの読んでいる本の記録みせろ」って主張してやまないジャージの体育教師を説得するための手引きをつくってみませんか?
  3. この種問題に無関心な司書教諭が多いのも嘆かわしいことです。現職のリカウント教育と司書教諭養成課程の見直しに目を向けてもらえないですか。

話はそれからだ!

*1:ちなみに“自由”という言葉を口に出すほどムキになる教員は多いです