現世を離れても鬼籍に入れない人たちのこと

過去の職場(図書館)だけではなくて、今の職場についてたまには書かなくちゃと、思っておりましたが、たまたま夕立雲のようにふってわいたのが、例の「高齢者の所在不明問題」。

幸い、といいますか、我が市では今のところ該当事例が無いようです。
世間一般は、親族やご近所との関係が希薄になっていることに驚いているようですが、我々にとっては、世間さまが驚くようなことは“ままあること”という認識です。
たとえば、5月の中旬から下旬。戸籍には「推定死亡」による死亡届けが数件あります。(通常ですと病院などで亡くなるケースでは、医師が正確な死亡日時を死亡診断書に記入し、それによって死亡届が出るのですが、死亡日時が特定できない場合には、“死亡日時のおおよそを推定”使われます。この時期の独居老人の「推定死亡」には“3月下旬”とか“2月中”などという、記述としてはアバウトなものが出てくるわけですね。
問題は、2月に亡くなったと“推定”される人が、なぜ5月になってから発見されるのか?
これも、いろいろなパターンがあり、
・親戚が心配に見に来た
というのもありますが、徴税吏や水道局の検収人、あるいは大家さんが“嗅ぎつける”というのが多い。
ぞっとする話です。

一方、先日さる公共工事関係で、とある方の戸籍を調べて驚きました。生年月日が「安政参年拾壱月六日」です。もちろん戸籍どおりに存命であるはずがなく、「住民基本台帳」からも抹消されてはいるのですが、このような例も大いにあります。

こんな興味深い例もありますが、戸籍の仕事はある意味自分の価値観からすれば、バカバカしいと思うことがあります。私にいわせれば、戸籍なんてものは、「徴税」「徴兵」という国民に義務を課すためにお上がつくったものという認識があり、それを「戸籍謄本一通450円也!」とやっているのは、仕事だからやってますが…

で、高齢者問題。行政各分野でいちばんイイカゲンなのは、我が市では図書館でした。
図書館の登録最高齢者が(本当に存命であれば)ギネスブックにも掲載されてしまうような方がいて、その方が月2のペースで利用しているという、幽霊も爆笑(いや苦笑か)することがあったわけでしたから、なんともはや…