我流著作権講座【自炊支援はやめておけ】

司書が著作権を知らないのは「自然」

前回のエントリーでは、自分自身「著作権」について無知だったことを改めて知り、かなり落ち込みました。
ただし、著作権を知らない司書は案外多いかもしれません。
“司書となる資格を得ようとする者”が、単位を修得しなければならない科目は「省令」で定めがあります。

・図書館法施行規則(昭和二十五年九月六日文部省令第二十七号)(抄)
 http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/gakugei/shisyo/04040504.htm

これらの科目の中で、「著作権」を関連付けて学ぶ機会・科目(例えば、「図書館概論」「図書館サービス論」)があったとしても、直接著作権そのものを時間をかけて取り扱う機会はなさそうです。
現場においては、文化庁主催や都道府県が主催する講習に足を運ぶ人も多いですから、現役司書の方々の多くは、そのような機会をとらえて著作権を学ぶ機会があったと思います。
しかしながら、近年では「非正規雇用」が増え、そのような研修の受講機会すら与えられない場合が増えているよう聞きます。嘆かわしいことです。

業界による「著作権講習」の不満

私は、幸いにして学ぶ機会もそれなりにはあったし、自己負担・手弁当で講習など受けに行くこともありました。
しかしながら、残念なことはこれら「著作権講習」に、感銘を受けた記憶がないのが残念なことです。
理由としては、

  • 講師が「図書館の人」なので、図書館業界よりの意見に偏りがちである
  • 枝葉末節にこだわり、著作権法全体を鳥瞰した観点がない

と、思うのですが…

私が考える「著作権

そんなワケで、公共図書館職員向け「著作権基礎講座」を、もし自分が講師として開催することを前提に(ありえないハナシだが)、考えてみました。
通常、図書館学においては
「演繹ではなく、帰納法を!」
というのが、私の主張ですが、聴衆の図書館員@公務員の方々に受け入れてもらえるよう、ここではあえて「演繹」的なものを考えます。
日本国憲法 第13条は、個人の尊重(尊厳)、幸福追求権及び公共の福祉について次のように規定しております。

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

ここで、注目いただきたいのが、「公共の福祉」という言葉です。著作権法は「著作者の権利」を保護するとともに、「知」の共有化、再利用化による文明社会全体の進歩をねらっているわけです。

法第30条(私的複製)と第31条(図書館における複製)

公共図書館でもっとも混同され、理解の混乱を伴うのが、著作法第30条(私的複製)と第31条(図書館における複製)との関係です。
逆にいえば、この二つをおさえておけば、とりあえずの利用者サービスにおいて、ストレスを感じる機会は減ります。

(私的使用のための複製)
第三十条 著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。
  一 公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器(複製の機能を有し、これに関する装置の全部又は主要な部分が自動化されている機器をいう。)を用いて複製する場合
  二 技術的保護手段の回避(技術的保護手段に用いられている信号の除去又は改変(記録又は送信の方式の変換に伴う技術的な制約による除去又は改変を除く。)を行うことにより、当該技術的保護手段によつて防止される行為を可能とし、又は当該技術的保護手段によつて抑止される行為の結果に障害を生じないようにすることをいう。第百二十条の二第一号及び第二号において同じ。)により可能となり、又はその結果に障害が生じないようになつた複製を、その事実を知りながら行う場合
  三 著作権を侵害する自動公衆送信(国外で行われる自動公衆送信であつて、国内で行われたとしたならば著作権の侵害となるべきものを含む。)を受信して行うデジタル方式の録音又は録画を、その事実を知りながら行う場合
2 私的使用を目的として、デジタル方式の録音又は録画の機能を有する機器(放送の業務のための特別の性能その他の私的使用に通常供されない特別の性能を有するもの及び録音機能付きの電話機その他の本来の機能に附属する機能として録音又は録画の機能を有するものを除く。)であつて政令で定めるものにより、当該機器によるデジタル方式の録音又は録画の用に供される記録媒体であつて政令で定めるものに録音又は録画を行う者は、相当な額の補償金を著作権者に支払わなければならない。
(図書館等における複製)
第三十一条 国立国会図書館及び図書、記録その他の資料を公衆の利用に供することを目的とする図書館その他の施設で政令で定めるもの(以下この項において「図書館等」という。)においては、次に掲げる場合には、その営利を目的としない事業として、図書館等の図書、記録その他の資料(以下この条において「図書館資料」という。)を用いて著作物を複製することができる。
  一 図書館等の利用者の求めに応じ、その調査研究の用に供するために、公表された著作物の一部分(発行後相当期間を経過した定期刊行物に掲載された個々の著作物にあつては、その全部)の複製物を一人につき一部提供する場合
  二 図書館資料の保存のため必要がある場合
  三 他の図書館等の求めに応じ、絶版その他これに準ずる理由により一般に入手することが困難な図書館資料の複製物を提供する場合
2 前項各号に掲げる場合のほか、国立国会図書館においては、図書館資料の原本を公衆の利用に供することによるその滅失、損傷又は汚損を避けるため、当該原本に代えて公衆の利用に供するための電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られる記録であつて、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。第三十三条の二第四項において同じ。)を作成する場合には、必要と認められる限度において、当該図書館資料に係る著作物を記録媒体に記録することができる。

実際、双方を混同し、
「図書館でのコピーは半分以下(第31条第一項の“著作物の一部分”のこと)にとらわれる必要はない」
と、うそぶく司書もいました。実際にきいた話です。人間、法などのきまりごとを前にすると、どうしても自分たちの都合のいいように解釈したがります。図書館員の場合は、「市民のために」「利用者の便宜のために」
問題を整理するため、

  • だれが(Who)

ということだけを考えればよいのです。
まず、「だれが(Who)」ということですが、第三十条では、「その使用する者が複製することができる」とあります。
それに対し第三十一条では「国立国会図書館及び図書、記録その他の資料を公衆の利用に供することを目的とする図書館その他の施設で政令で定めるもの(以下この項において「図書館等」という。)においては、(中略)著作物を複製することができる」とありますので、複製を行うのは「図書館等(と、そこで働く人)」であります。
ハナシがややこしくなったのは、「コイン方式のセルフサービス」が登場してからでしょう。本来職員が作成し提供することになっていたコピーを、セルフ化してしまったあたりからです(同時に価格が安くなったことで、利用者からは好評のようでしたが)。
こうなると、両者の区別は難しく、かつ「意味をなさない」と解されたのでしょうか?

横浜市立図書館の「勇気ある」決断―著作権法第30条によるコピーサービスの実施―(CA1319)
 http://current.ndl.go.jp/ca1319

「自炊支援」は“合法”か?

新しく「勇気ある決断」を行おうとする向きもあります。
先日、とある公共図書館で、利用者の持ち込んだ本を断裁やスキャナーの設備を提供して「自炊支援」を行おうとするものです。
どこまで本気(マジ)かは、わかりませんが、自分としてはかなり疑義があります。
まず、自炊「支援」の中身ですが、一連の作業ほとんどを「支援」することは、“複製できるのは、あくまでも「その使用をする本人」に限る”という30条の規定に抵触します(他人に複製を委託することは、たとえ個人的使用の範囲内の目的であっても、許されません)。
次に、機材の提供ですが、第30条第一項にあるように「公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器(複製の機能を有し、これに関する装置の全部又は主要な部分が自動化されている機器をいう。)を用いて複製する場合」は、許可の除外になっています。
「自炊支援」とは、魅力的なサービスでそのアイディアには脱帽ですが、ハードルは高いといえます。

電子書籍電子図書館著作権

自分も、日ごろから法令をつかいこなす(つかわざるをえない)職場ですが、著作権法は、はっきりいって読みにくいです。接ぎ木のような部分がありすぎて、ダンジョンのような構造。この現行法に「電子書籍」なり「電子図書館」を、どう位置付け、著作者の権利保護と知的再生産を両立させていくか、そろそろ本気で考えなくてはいけないでしょう。