葬式と図書館(員)と社会教育

ある図書館司書のご不幸

私が尊敬する図書館司書のお母様が亡くなられました。
http://maru3.exblog.jp/12497237/
直接の面識はありませんが、一度ソーシャルメディアの場で議論したこともありました。
この場をお借りしまして、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

私のときのこと

私も数年前父をガンで亡くしました。その頃は、自分は現役バリバリの図書館司書でした。日々ごとに衰えていく父は辛く、毎朝黄疸症状で黄色い顔をしている父の寝顔に“今生の別れ”を覚悟しての出勤です。
ただし、どのような場にあってもカウンターに立つ以上は「覚悟」や「度胸」を振り絞って、“日常どおり”を演じなくてはなりません(先日のエントリでキャンディーズのスーちゃんに対する思い入れは、この体験が所以)。それは辛いことでありましたが、反面プロフェッショナルに“すがる”ことで、救われたのだとも思います。

家族にもいえない20分間

そのような愚息に、人生最後の配慮だったのでしょうか。父は休館日に静かに息を引き取りました。葬儀社等との日程調整で通夜は翌日の夜、告別式は明後日昼間に決まりました。そのため、翌日1〜2時間のまとまった時間を持つことができました。家庭人としての使命をなす前には職業人としての使命を果たさなければならない、少なくとも、弔いのあいだを派遣の皆様だけで乗りきっていただけるよう、サービスにつつがなきを得るため(こう、書くと偉そうですが、案外“つつがありあまっている”のが現状でしたけどね)、職場に向かいました。
手早く、事務処理を済ませ、約20分くらいでしょうか。一人書架群と向き合う時間がとれました。冠婚葬祭・マナー・仏教、それらの本を片っ端から目を通し、
“自分と父との別れ”
は、この際ほっといて、
“父がご会葬者と気持ちよくお別れをしてもらう”
ことを考え、必要な知識を得ることができました。もちろん、この種職業病で、
「この本は使える!」
とか
「だめだぁ、この本」
を独りごちながら…

葬式とライブラリーサービス

この20分間の経験から、私は図書館サービスというものに一つの可能性を感じました。“オクリビト”を支えるライブラリーサービスです。
私の館は小さいし、自分自身がその資料について一定の理解をもち、また「司書」としてNDC分類などの該博的な知識がありましたので、短時間で要領よく立ち回りましたけど、それを差っぴいても、弔いを前に約1時間、図書館に行けば、告別式などセレモニーの場において気後れすることなく、無礼なあやまった振る舞いをすることなく、故人との別れにベストを尽くすことができるでしょう。
近年のご遺体保存の技術進歩と火葬窯の不如意から、案外時間をとることができるのがならいとなってきてます。休養も必要ですが、同時に少しでも時間のとれる方は図書館に足を向けるべきですし、かつてのご同役〜司書各位には、こうしたニーズへの備えと心配りを願う次第です。

よみきかせ@火葬場

さて、そののちも葬式に出る機会がままあったのですが、火葬場にて火葬の待合室での子どものことが気になり始めました。椅子に座って10分もすれば、駆け回りはじめ、親にたしなめられ、おとなしく座りますが、また10分もすれば…この繰り返しです。
子どもをうるさく感じているのではなく、むしろ気の毒になってきます。白く静かで何の飾りもない部屋に押し込められれば、退屈に決まっています。
次の機会、火葬場にいって収骨に加わることが予定されているとき、私は大きめのカバンの中に

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

を入れていきました。
火葬が開始され、待合室に通され、やはりというか、子どもたちが騒ぎました。
私はなけなしの勇気を出して、正面に立ち、本をかざして声をあげました。そう、“読み聞かせ”です。
もともと、読み聞かせは得意ではありませんでしたので、始めてしまえば、びっくり仰天している親類縁者の顔も目に入りません。
汗をかきかき、読み終わったとき、最年長と思しき女性の方が真っ先に立ちあがり、拍手。スタンディングオベーションです。
まさか想定はしておりませんでしたので、アンコール用の二の矢を携えてこなかったことは悔やまれますが、その後飛び回る子どもはいなくなり、親としんみり語りあう光景が見られました。
ここで、ようやく心の中で“ガッツポーズ”です。

社会教育は場所を選ばず

葬式をはじめとした通過儀礼。それは子どもたちにとって“生と死”に向い合う社会教育の機会にもなります。
その一方で、“生と死”の持つ意味や重要性を説くことができない両親も増えているかな、という印象は常にもっていました。
過日の大震災、とある社会教育関係者が集会で、
“被災地の公民館が「想定外の避難所対応」を「苦」”
と、表現されてましたが…
優秀な図書館員はハコモノに縛られず、ニーズあれば、そこで何かできないかを企みます。
私のような、優秀ではないがヤケクソ司書は、すきあらば火葬場までも読み聞かせの場にしてしまいます。
私も、このような向こうみずのために、お尻の下が焼かれるような状態にもなりましたが、お下劣ですが尻の下を焼けば、尻には肛門がありますから、ますます“ヤケクソ”になるかもしれません。これにはご注意を。