エゴイズムが通れば善意が引っ込む、これ我国流民主主義

ジメジメした、うっとおしい梅雨の季節になると思いだすのが、
天安門前事件」(1989年)
のことです。
日本の「新左翼」に代表される「学生運動」とは一線を画した、理路整然とした主張、紳士的で泰然とした学生たちと、それに一定の理解をしめし対話の姿勢を崩さなかった趙紫陽総書記の姿に、私はかの国の「大人ぶり」や奥の深さに感銘していたのですが、6月4日の出来事がすべてを暗転させてしまいました。
そのなか、武力鎮圧に向かう人民解放軍の戦車の前に若者が飛び出して、ただ一人戦車の進路方向の前に立ち、その戦車の走行を阻止しようとした「無名の反逆者」は、世界中の多くの人が感動したものです。
それから、20年が経過。かの国の「民主化」はともかく、すでに60年前、洋を隔てたもう一つの隣国&超大国によって「民主化」が行われた東洋の島国では、チープな運動ばかりが目につきます。
北九州市で、東日本震災被災地石巻市のがれきを積んだトラックの前に、両手をひろげて“たちはだかった”男たちは“無名の反逆者”を気取ったのでしょうか?
かたや、北関東では
放射能汚染地域に住む人の血って、ほしいですか」
と、ツイッターに書きこんでいた市議が「除名」とか。
この方のツイートについて、プロフィールを見ると、支持者やシンパシーを感じる方のリツイートやレスポンスばかりであって、いかにも賛同・賛美の意見に囲まれているかのように見えます。
しかし、その実アカウントで検索をかければ、批判・疑問ツイートが数多くあることに気づきます。
つまり、ご本人にとって都合のいい意見しか耳にしようとしないようにも思えます。
中東などでは、SNSをきっかけに「民主化」が進んでいることはよろこばしいですが、わが国政治家のSNSはエゴイズムや独善、裸の王様、といったような言葉しかイメージできません。
無論、そのような言葉とは無縁な真摯で広い視野をもった政治家とか市民運動家がいるということも、わかってはいるのですが…