「司祭」と「司書」は一字違い

あまりにお粗末なオチ

いや、前回のエントリ。最後のオチで失敗しましたね。

結局、「図書館員の専門性」よりも「書店のノウハウ」が優越した、という選択の問題でしょう。いいか悪いか別として…

これでは武雄市というごく局地的かつエキセントリックな「選択」のはずが「一般論」になってしまいます。
そこで、

結局、「図書館員の専門性」よりも「書店のノウハウ」が優越した、という武雄市長による選択の問題でしょう。いいか悪いか別として…

と、修正しておきました。

しかし、このエントリには脱帽だなぁ…

さて、このブログを終えるにあたって、
私的「図書館史」
をまとめたいと日々考えていたことですが…

国民国家ナショナリズム・図書館(みちくさのみち2012-06-25)
http://d.hatena.ne.jp/negadaikon/searchdiary?word=%2A%5B%BB%D7%C1%DB%BB%CB%5D

は、実によいエントリでつくづく感心しました。
私が得意とする「唯物史観」まで言及するとは、芸が細かい、というより感心するほかありません。ってか
「先を越された!」
感もあります。

比較宗教的に路線変更?

しかし、これらのエントリの続々登場で、拙者の出番がなくなる、というのは早計でしょう。
むしろ、「図書館史」について、先様の方が正統・ストレートに威風堂々と正面から取り組めば、それだけ搦め手からつけ入るスキが出てくるからです。非正規戦(「ゲリラ戦」のこと「労働ウンドー」にあらず)・場外乱闘、なんでもあり。
いま、ルターの「天職〜職業召命説」と司書職について考えています。
それにしても、「司祭」と「司書」は一字違いですね。
そういえば、この二つは類似性があります

  • 悩める者=市民のために
  • 聖書(文献)の中から役立つ箇所を見つけ出し=検索し
  • それを説く=提示・提供することで
  • 救いの道(問題解決の道筋)をさししめす

ただの「一字ちがい」のハナシですけど…