図書館員のかいた汗は〜図書館員の競争原理と格差〜

図書館の格差

今日わが国は“選択と集中”がもてはやされ、格差〜勝ち組と負け組、富める者と貧しき者〜が二極分化する“格差社会”にあると指摘されています。
『中小都市における公共図書館の運営(=中小レポート)』,『市民の図書館』が目指した公共図書館運動には、「図書館の自由に関する宣言

  • すべての国民は,いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利を有する
  • すべての国民は,図書館利用に公平な権利をもっており,人種,信条,性別,年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない

といった記述にあるように、公平・平等なサービスの実現を目指したものでした。
前回のエントリで、『市民の図書館』に“後継者だったはずの”『21世紀の町村図書館振興をめざす政策提言:Lプラン21「図書館による町村ルネサンス」(=以下「Lプラン」という』が“不発”だった理由について、時代背景と自己の体験をもとに考えてみました。
が、Lプラン21は、その後意表を突いたかたちで“成果”を残すことになります。それは、図書館相互の「競争」を煽るとともに、図書館同士の「格差」〜特に中央(大都市)と地方との差〜をつくりだす結果になってしまうのです。

日本図書館協会主催K−1(貸出し)グランプリ開幕!

日本図書館協会政策特別委員会は平成16(2004)年3月、

・公立図書館の任務と目標
 http://www.jla.or.jp/library/gudeline/tabid/236/Default.aspx

を改訂します。その「目玉」といえば「数値目標」です。

公立図書館の数値目標について,旧版までは一委員の試案というかたちで掲載してきた。この間,日本図書館協会では「図書館による町村ルネサンス Lプラン21」(日本図書館協会町村図書館活動推進委員会著2001)を発表し,そこで公立図書館の設置と運営に関する数値基準を提案した。これは「日本の図書館1999」をもとに,全国の市町村(政令指定都市及び特別区を除く)の公立図書館のうち,人口一人当たりの「資料貸出」点数の多い上位10%の図書館の平均値を算出し,それを人口段階ごとの基準値として整理した上で提案されたものである。
そこで今回の改訂にあたっては,「Lプラン21」の数値基準を改訂するかたちで,「日本の図書館2003」によって新たに平均値を算出し,これをもとにした「数値基準」として提案することとする。

ちなみに、ここに出てくる「日本の図書館1999(2003)」とは、日本図書館協会が刊行している統計書『日本の図書館−統計と名簿』のことですね。

平等なき競争

この『日本の図書館−統計と名簿』。お手にとってご覧になった方はおわかりでしょうけど、人口別に、蔵書や貸出統計が掲載されています。(類似?)都市を比較し、ベンチマークするには実に便利にできています。
この手法を「任務と目標」は“応用”し、類似規模自治体を“よい子・悪い子”ならぬ“よい図書館・悪い図書館・フツーの図書館”へと「区別」がつけやすい、とも思えますが実は平等ではないのがこの競争です。
たまたま、人口が同じというだけで“類似都市”とカテゴライズするのはかなり乱暴な手法です。
たとえば、『市民の図書館』の聖地である東京都日野市の人口は約18万人ですね(2012年7月1日現在179,464人)。同じく図書館活動旺盛なお隣東京都立川市も約18万人
(同179,503人)ですからかなり「類似都市」と呼べるでしょう。
さて、北のほうに目を向けると、北海道の釧路市(2012年6月30日現在181,206人)や苫小牧市(同173,406人)あたりも人口“だけ”みると「類似」都市と呼べそうですが、その面積たるや、

  • 日野市   27.53キロ平方m
  • 立川市   24.38キロ平方m
  • 釧路市  1,362.75キロ平方m
  • 苫小牧市  561.4キロ平方m

日野と立川は僅差、ほぼ同じといってもいいでしょうけど、苫小牧・釧路はさすが北海道。文字どおりケタ違いといってもいいでしょう。
ここで、経験ある図書館員なら誰しも知っていることですが、自宅と図書館との距離に反比例して図書館利用は減少していきます。また、人口密度が高ければ分館などの拠点一つあたりの効果も高くなります。つまり、同じ人口の自治体でも、人口密度の高い都市は低い都市にくらべて格段に「優位」なのです。
違うのは面積だけではありませんね。地方自治体の財政も大きな要因になります。東日本大震災液状化で大被害をもたらしたとはいえ、千葉県あたりの、ねずみさん・がちょうさん・熊さんたちが一所懸命大きな場所に住み(固定資産税)、かつ働いてくれて(法人市民税)、税収豊な自治体と北海道の夕張市あたりとは較べるもおろかです。

日本図書館協会の“モラルハラスメント

まぁ、自動車レースにしろ競争にはレギュレーションとかがつきものですが、この競争にはそのような上等なものは一切ナシ。まるで“オジサン草野球に現役大リーガー”“自動車教習所にレッドブルルノー”とにかくめちゃくちゃな世界ですね。
そのような「批判」を「予定」していたのか知りませんが、「任務と目標」は、こうした自治体間の事情とかまったく考慮せず、次のように述べてます。

少なくとも図書館設置自治体のうち,10%の自治体にあっては住民がこの水準の図書館サービスを日常的に受けているのであり,住民にとって公立図書館サービスが原則的には選択不可能なサービスであることからも,ここで提案する数値はそれぞれの自治体において早急に達成されるべきものであると考えている。

早いハナシが、
「ヨソ(の自治体)でちゃんとやってんだから、見習いなさいよ!」
ということです。
各都市の図書館員の努力ではどうにもならない、仕方のない、手のうちようがない、そのような「現実」に対し、無理な「理想」を押し付ける、というのはもはや“モラル・ハラスメント”といってもいいでしょう。

日本図書館協会の「中央集権」がつくる「格差」

まぁ、単に貸出し競争を楽しむだけならそれでよいのですが…
いま、地方自治体では「予算要求の季節」を迎えています。貸出密度(誰が考えたかわからんが、貸出資料数を人口で割った、もっともらしい名前のどうでもいい数値)上位の図書館は「功績」があるとして、予算(資料費)も人員も出してもらえます。ところが、平均より劣っている自治体は「努力不足」とみなされ、資料費は削減されるばかり。図書館にとって資料費は生命線ですから、富める館は貸出しをますます伸ばし、プア館はどんどん利用者が減る…というワケで、「格差」は広がるばかり…
と、まぁこのように皮肉なことに
「すべての人に図書館サービスを!」
という公平・平等なサービスの実現という高邁な理想を目指していたはずの『中小レポート』から『市民の図書館』、そして『Lプラン21』の総大成としての「任務と目標」が、
「一部の自治体の人だけ優れた図書館サービス」
という、不公平・不平等な“目標と結果”になってしまっているのです。
あぁ、そう言及し忘れたけど「貸出し」だけを評価の主眼にすえた単純さも指摘しておくべきですね*1
やはり、前回も書きましたが、今日図書館界を代表する日本図書館協会

日本図書館協会役員一覧
 http://www.jla.or.jp/jla/tabid/225/Default.aspx

首都圏近郊ばかりで固めた役員人事の影響もあるといえますが…

図書館員の流した汗は

ある意味、日本図書館協会はスゴいことをやらかしましたね。
なぜなら、図書館法第三条にある

図書館は、図書館奉仕のため、土地の事情及び一般公衆の希望に沿い、更に学校教育を援助し、及び家庭教育の向上に資することとなるように留意し、おおむね次に掲げる事項の実施に努めなければならない

“土地の事情及び一般公衆の希望に沿い”の文言を酌むことなく、列挙された“図書館奉仕”を「貸出し」の一点に集中してしまったからです。もはや「遵法」も「倫理」もない
ドイツの社会学者マックス=ウェーバーは、その著書『プロティスタンティズムと資本主義の精神』

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

で、こう書きました。

営利活動は宗教的・倫理的な 意味を取り去られていて、今では純粋な競争の感情に結びつく傾向があり、その結果、 スポーツの性格をおびることさえ稀ではない。

文中“営利”を“貸出し”に置き換えるとピッタリ当てはまってしまいます。
私は、自分が図書館員になったとき、
「毎日、汗をかいて働いてます!」
と、自分を持ち上げる図書館員が多いのに違和感のようなものを感じてました。
でも、今となってはそのワケがわかるような気がします。
その「汗」は「労働」ではなく「スポーツでかいた」汗であると…

おまけ

いま話題の武雄問題。これも図書館界発展の一形態であるのかもしれません。先述のマックス=ウェーバー『プロティスタンティズムと資本主義の精神』から引用しておきます。

こうした文化発展の最後に現れる「末人たち」 》letzte Menshen《 にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。
「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことにない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」と。

*1:本当は、このあたりをもっと指摘するべきだが、長くなるので省略!