あんなの(図書館の自由に関する宣言)飾りです。エラい人(司書)には、それがわかっとらんのです!

図書館員のヒロイズム

前回のエントリ、久しぶりにブクマがつきましたね。
やはりラノベ作家が面白おかしく作品題材にするだけあって、「図書館の自由に関する宣言」の愛着心は強いようです。
特に圧巻なのは、文末の
図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。
に、全共闘時計台放送などにも似たヒロイズムを感じるからでしょう。
ただし、実際の仕事(業務)は、それほど感動的でも感傷的であるワケない、っていうか、そこにロマンやナルシズムを求めること自体がまちがっていると私は思います。自分たちの団体がデッチあげした文章に酔いしれるのは勝手ですが、市民の立場からすれば、カウンターに“酩酊した”職員がいることは好ましくないわけですから…

法の支配と憲法

前回のエントリでid:nemurigame 様よりコメントをいただきました。

網野善彦氏の著作から、禁令があるのはそれに違反する事実があるから、ということを学び、なるほど・・・とおもいましたが、自由宣言はまさしく「それに反する事例が後をたたない」歴史から誕生した宣言だと思っていました。地方公務員法では、守れなかった歴史? そして、それは今も続いているのかもしれませんね。

なるほど、答えはイエスでもあればノーでもありますね。なかなか鋭いことを突いてきます。
そもそも「宣言」が生まれたのは、戦前に思想善導機関として機能した図書館の歴史を反省してのことです。nemurigameさんの指摘する“守れなかった歴史”というのは、おそらく戦前戦中のことでしょう。
たしかに戦前の弾圧なり検閲なりは「新聞紙条例」とか「治安維持法」があってのことでした。“悪法なれども法は法なり”という立場からいけば、“法治主義”では、なるほど「図書館の自由」を「宣言」に委ねる動きは当然と思うのが自然な考え方です。
ただし、現在わが国はそのような「形式的法治主義」ではなく、日本国憲法最高法規とした「実質的法治主義」をとっているといえます。その原則とは、

  1. 人権の保障(憲法第3章)
  2. 憲法最高法規性(同第10章)
  3. 司法権重視(76条・81条)
  4. 適正手続の保障(31条)

において定められています。
ついでにいえば、地方公務員(むろん司書のみなさんも)は“日本国憲法を順守する”旨の“宣誓”をなさっていたはずです。
このような法体系というものに理解をしようともせず、自分たちでつくりあげた「綱領=図書館の自由に関する宣言」に基づき図書館運営の諸問題解決や判断能力に用いるのは“私法の横行”であると、私は指摘するものです。
先ほど、新左翼との類似性をあげました。「私法」というのは「私刑」を招く可能性が高い、まぁ、“血のソーカツ”とまではさすがにいかないでしょうが、非効率を生むだけの邪魔者にすぎません。

「宣言」に後付けされた箇所

実は今日、「宣言」の根幹とされているのは、

図書館は利用者の秘密を守る


の部分でしょう。委託反対運動にご贔屓いただいているのがこの箇所です。
実は、この箇所、はじめから「宣言」にあったわけではありませんでした。
1979年の総会において書きくわえられたものです。
今日、「宣言」にとってもっとも重要な扱いを受けているこの部分、最初は文章になかったことは記録にとどめるべきです。

「貸出し」のための削除

書きくわえた箇所あれば、削除された箇所もあります。
1979年といえば、『市民の図書館』大躍進運動の最中です。
このとき、検閲について

図書館はすべての検閲に反対する。

から、「不当な」という箇所が削減されました。
私の下種の勘繰りかもしれませんが、「貸出し」を極力フリーハンドに行うべく、図書館の蔵書・資料収集方針に関する意見や批判(特に議会などの「公権力」関係)をかわすねらいがあったのかもしれません。そうすれば、そのようなこうるさい意見を
“(すべての)検閲である”
と反論し開き直ることができるからです。
批判や注文に対して“すべてを敵視し、放火を浴びせる”のは、かの「無料貸本屋論争」でもいかんなく発揮されましたし…
1979年といえば、“もはや戦後ではない”時代よりずっとあとのことです。この年と『市民の図書館』大躍進が重なり合うことに偶然以上のものを感じます。

岡崎事件が明らかにしたもの

以上は、ヘソマガリ元図書館職員のいささかうがった見方といえます。
ただし、岡崎事件では図書館界は「仮想敵」とされた官憲に、多くの方々の個人情報を引き渡し、それを日本図書館協会図書館の自由委員会は“見ざる”を決め込みました。
ことこれに及んで、
図書館の自由に関する宣言」とは、所詮
図書館員の図書館員による図書館員のための
宣言でしかなかったように思えて仕方ありません