専門書・専門知と向き合えない司書は職務放棄である

墓穴掘るなら

(承前)
いやぁ、久しぶりに自分のトップページ見て、目を疑ったなぁ…正直ここまでブックマークが伸びるとは思いませんでした。目下自分としては「司書」としての告別式・葬式をやっているつもりだとのですが、リアル葬式で会場からハミ出すような予想以外の会葬者がいらっしゃた気分です。リアル葬式でしたら自らの「遺影」に「イエイ!」と吹き出しを記述したい気分です(ギャグも想定も何もかもめちゃくちゃだ)。
ブクマコメいただいた方々、ありがとうございました。賛成も否定もできない、身につまされる、そのような苦悩とかジレンマをお持ちの方がいらっしゃるように、私には思えました。おそらく、もう少し“掘り下げる”必要ありです。
他方、私の「司書告別式」もだいぶ進みましたので、今回のテーマは
「どうせ墓穴を掘るなら、石油や温泉が出るまで掘ろうぜ」

専門知・専門書と向き合う

現役の司書の方々に(もちろん、イヤミ抜きで!)問いたいことは、
「一般書」と「専門書」
「一般知」と「専門知」
を、どう峻別するかということです。おそらく、程度の差こそあれ言葉に詰まる方も多いのじゃないか、と私は推測します。
まぁ、「専門知」といからには「高度・高等」であり、「専門=特化・細分化」された知識群をさすのでしょう。
その反対が「一般知」になるのでしょう。
少し、強引なまとめをすれば、学校教育に置き換えると
「一般知」=義務教育
「専門知」=高等教育、わけても大学基礎課程修了後
と割り切ってしまえば*1、少し見えてきたような気がします。
で、その「専門知」ですが、そのようなニーズが市民から求めれれるようになっています。

・「専門知は意外と使われる?!」(第十回Wikiばなライトニングトーク)「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」
 http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20100614/1276471492

今は昔、公共図書館に「一般書」だけで足れりとする時代は終わりを告げているのです。答は簡単。大学の進学率が上がったからですね。この就学構造の変化を「公共図書館」の「司書」がどれだけ認識していたか、怪しいものです。少なくとも
公共図書館は一般書中心で」
というドクトリンは、
「来館者は中学生以前のアタマ」
であることを広言しているようなものです。ずいぶん利用者をバカにしたハナシです。

最終的に、バカを見るのは研究者?

図書館がお花畑なのは結構ですが、もはや社会全体として「専門書」「専門知」に対する認識を改めなくてはいけない時期にいると思います。出版社が「専門書は売れない」という固定概念をつくると

本研究では一般市民(非研究者)における論文のオープンアクセス(OA)化に対する需要について明らかにすることを目的に、日本の社会人800人を対象とするインターネット調査を行った。結果から、1) 市民のOA認知度は低く、OA論文利用経験も少ない、2) 回答者の過半数がOA論文は自身の役に立つと考えている、3) 専門的な情報を得るためにOA論文を用いたいと考えている、4) 最もOA化の需要が高い分野は心理学や医学だが、性別による有意差があり、男性は情報学や工学、女性は教育学や言語学にも需要があること等がわかった。*2

という、減少がおこり、市民がOAでガンガンアクセスします。そうなると、従来の書誌媒体からなる従来のルート(出版社>書店または図書館>読者)は「空洞化」します。かつてルターが「万人司祭説」を主張したように、専門知と市民がダイレクトな関係ができてしまうと当然、そのあいだをとりもつ「司書(司祭)」は不要になる「万人司書説」が成立してしまいます。
「知」と正面から向かい合うことのできない司書はこの際、ノタレ死しても結構ですが
本が売れなくなる>出版社の経営困難>単価上昇>ますます売れなくなる
という、ヘビーローテーション、もといスパイラルの結果、困るのは印税を受け取れなくなる知識人・研究者です。同時にこれらの方々にとっての「印税」は単なる「報酬」ではなく、次の研究費用=知の再生産費という要素を多分に含んでいますから、わが国の「国益」、ひいては「公共の福祉」実現にもかかわる忌々しき事態となりましょう。

出版界の「格差助長」を図る「無料貸本屋

最近、このブログでも何度か引用しましたが

・みんなの図書館2011年9月号が出ました
 http://tomonken-weekly.seesaa.net/article/221023733.html

所載の

「貸出猶予のお願い」と図書館の自己規制、および根本彰氏の主張への反論
広島女学院大学 田井郁久雄

この中で、田井先生は
(公共)図書館における複本購入はそれ自体が書籍の販売数を増やし、さらに読者を増やしている。
と主張しています。私は、“百歩譲って”、いや“成田発香港・ナイロビ経由・ケープタウンの距離を譲って”、彼の論を認めたいのですが、結局彼のいわんとするところは、ベストセラーを買うことを推奨することです。資料費削減の中、ただウケねらいで複本やベストセラー狙いに走り、本来図書館で購入すべきもの=高価で発行部数も少なく、しかし「専門知」に富んだ本=が削減されれば、“売れる本だけが売れる”状態を助長することになり、出版界における格差拡大をいっそう増大していく可能性を指摘しておきます。

司書の皆様へ〜書架はあなたの心の鏡

過去の亡者はさておき、現役司書の皆様。
私は担当した書架はその司書にとっての「鏡」であると思っています。
人間が荒れたり、サボれば書架は荒れます。
レベルの低い選書をすれば、当然書架のレベルも落ちます。
書架と向かい、利用者と相対し、問題意識を持つこと、やってますか?

*1:我ながら、大胆な区わけだが、今までこの種のハナシで「専門知(書)とはなんぞや論」をあ〜だのこ〜だの言っていて前に進まず、イライラした経験があるので

*2:佐藤翔, 数間裕紀, 逸村裕. ”学術論文のOA化に対する市民の需要”. 2011年日本図書館情報学会春季研究集会. 東京, 2011-05-14, 日本図書館情報学会, 2010, p.55-58.