TRCが「独占」しているのは「高度な専門性」

ハイタッチできない!?

AKB48が、毎年恒例の“桜ソング”をヒットさせています。

GIVE ME FIVE!【多売特典生写真付き】(通常盤)(Type-A)

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この曲、某大手通信会社のCMソングにも使われています。実は私もそのユーザーのひとりです。
「卒業」と「入学」を意識したCMに接すると、自分も最近粗忽さが目立ちがちなケータイを「卒業」して、別のケータイ会社に「入学」もしたくもなりますね
自分も、この愚かでみっともなく未練がましいブログを卒業したいと思います。最近は来訪者もいらっしゃないし、今年度末いっぱいを3月31日終了、4月1日にはエイプリールフール・エントリー一発かまして「卒業」まで行きたいものだと、今年に入って更新を心がけております…といいつつも、このAKB48の卒業ソングのような“ハイタッチしよう!”と思っても、そのお相手様がいない…これも身から出たサビか、と思うとますます凹むばかりです。

TRCほめまくり

バカはともかく、ひさしぶりに我がブログに(コメントいただく)お客様を迎えることができました。ありがとうございます。id:Shizuko 様からコメントいただきました。ありがとうございます。さっそく私見を述べさせていただく…っと、その前に、最近のエントリで、私がTRCが手放しでほめまっくていることに違和感を覚えた方もおいででしょう。中には、

  • もしかして、TRCの廻し者か?
  • 現役時代、TRCからなにかうまい汁を吸っているのでは?

と、思った方がいらっしゃたとしても不思議ではありません。
が、残念なことに、私はエンドユーザーの一員以上のなにものでもありません(少し、残念だな)。
TRCから私個人がいただいたモノは、

  • 図書館総合展の招待状
  • 我が地区の営業さん(私と同じく「鉄」ということは、あとでTool−iで知った)の名刺

だけ。
にもかかわらず、私が(細かい点では、そりゃ不満もあったり、お客様係に電話で怒鳴ったこともあるが)TRCを称賛するのは、自分たちの価値観なり掟なりを、決してユーザーに押し付けることはなかったことです*1。MARCについてもNDC9版への移行がまだだった図書館には8版のMARCを頒布してくれました*2。別記記号やバーコードラベル、背ラベルにいたるまで、事細かくユーザーの要望にそってくれて、これぞまさに
「望みのモノを提供する」
という言葉どおりだったと思います。

TRC大躍進の理由

ほめまくりは、いい加減なところで切り上げて、せっかくのコメントを拝見いたしましょう。

書誌のtagが日販マークはJapanマークと同じというのが「売り」や「買い」のはずです。逆にTRCはオリジナルのtag付けをしていることにより、独占出来ていうということもあるでしょう。
せめて、自館のオリジナル件名付与や、自館独特の地域資料などのオリジナル・データを作成することなどは「司書」が創れないことには、どうしようもありません。

う〜む。心情的に納得できる部分はありますが、せっかくいただいたコメントなのに申し訳ないけど、否定的な感想・意見が出てしまいますね。
まず、前段の部分。日販マークについては、使ったことないからわからないけど、

逆にTRCはオリジナルのtag付けをしていることにより、独占出来ていうということもあるでしょう。

これには違和感。確かにTRCは「独占」的な状況になっておりますが、TRCが「独占」を目論んでいたかといえば、そうではないでしょう。自然淘汰の結果、たまたまTRCが「独占」状態に“なっちまった”という結果論にすぎません。
次に、tagが独占のキメ手となったかというと、よい意味でも悪い意味でも違いますね。
TRCの主たるユーザーたる公立図書館において、なぜTRCがシェアを占めたか、といえば地方公共団体特有の契約システムにあります。
MARCの契約・選定にあっては(最近なにかと批判の対象となっている)随意契約が主に使われるわけです。
その際、随意契約を適用するキメ手となるのは

と、ともに

  • 近隣自治体図書館との「統一・兌換性*3」を図る

というのが、ありました。この2点で、たとえば、とある県で県立図書館とかがTRCを採用すれば、その県の公立図書館は「右にならえ」の図になるわけですね。

最後の“決まり手”はデータの蓄積

ここまでは、一般的にも知られていることですが、図書館のコンピュータ化に草創期における取り組みが決定的になります。
伝統を誇る図書館であれば、戦前からの資料を保有します。電算化にあっては、このような本を、時代をさかのぼってMARCを作成しなければならなくなります。この時代(1980年代)は資料費はじめ図書館予算は余裕がありましたので、TRCに紙媒体の図書目録を渡したうえで、MARCの入力(作成)を請け負わせます。このオーダーメードMARCが蓄積されればされるほど、TRCには“セールスポイント”になるのです。
あとは、あらゆる分野でいえることですが、“スケール・メリット”でしょうか。MARC頒布件数が増加すれば、原価を下げることができるのですね。

気をつけよう!tagは安易には付けれれない

次に、後段ですが

せめて、自館のオリジナル件名付与や、自館独特の地域資料などのオリジナル・データを作成することなどは「司書」が創れないことには、どうしようもありません。

“自館独特の地域資料などのオリジナル・データを作成する”ことは差し支えない、というよりドンドンやるべきですね。ただし、“自館のオリジナル件名付与”については疑問符がつきます。
まず、MRACには著作権があります。例えばTRCマークはTRCが、JAPAN/MARCは国立国会図書館が、それぞれ著作権を持っています。それらのMARCについて、勝手に分類を変えたり、“自館のオリジナル件名付与”をつけたりすることは、MARCを加工することであり、著作者の同一性保持件(著作人格権)を侵害することにもなりかねません。
同じ、著作権侵害でも
他人の絵に勝手にあれこれ書き加えて、それを眺めて満足=自画自賛
の方が数段マシだと思います。なぜなら、当該著作物=絵は、独立して完結した著作物だからです。
MARC=書誌の場合は、事情が違ってきます。仮に著作権フリーであったとしても、賢明な司書はこれを行うことはないでしょう。ある本に勝手にオリジナル件名をつけてしまえば、全国書誌とまではいかなくても、その館所蔵資料の同じ主題の本すべてに付与する必要があります。そうしなければ、OPACとして検索に供する時にチグハグな検索結果を生んでしまうからです。それは大変な作業となりましょう。ならば、その手間なり時間なりを別に活用した方が件名賢明だからですね。

MARCはたやすい、組織化は難しい

件名をつけたり、自分で書誌(データ)をつくること自体は、それなりの司書であれば容易いことです。ただし、それを組織化してOPACとして供するのは難しいことです。著者標目についても典拠というシロウトには難しいシロモノがあるワケです。
それでも、
MARCは組織化されなければならない。
OPAC活用されなければMARCの意味がない。

TRCが「独占」しているのは、「司書の専門性」?

「司書の専門性の確立」というのは、図書館界の永年のテーマであったワケですが、そのくせ「司書の専門性」とはなかなか見当たりませんでした。
しかしながら、高度な専門性

  • 典拠ファイルの管理
  • ポンコツBSHに代るオリジナル件名の付与と遡及適用

等々はTRCが「独占」してしまっているのですね。
そうなると、「専門性」を主張したくてもできない司書各位や、そのような司書からの自分たちの団体への求心力を維持しようとする、つまり本領安堵を求めてやまない司書集団にとっては面白くないことになりますかね?

*1:この点が、図書館カンケーの専門職職能団体の連中とは違うところです

*2:聴くことによれば、どうやらNDC第6版でも対応してくれたらしい

*3:この点をどこまで図書館司書が考えていたのか、怪しいところですが、少なくとも行政内部では“もっともな理由”として説得力はあった