私の「読書(本の)案内」と「見切り」

さぁ、私の「読書(本の)案内」を語らせてもらいましょう。

以前、知り合いの方から
「オマエのブログは(図書館員にとって)痛いところを突きすぎている」
といわれたことがありました。
おそらく、言外に
「オマエは(外野で)云いたい放題でいいよな」
という、イヤミとも羨望ともつかぬ感情が入り混じっていると思いました。
さて、最近「読書(本の)案内」について書いてきました。
その中で、そのギョーカイでは高名であろう方々まで“云うだけ司書”と嘲笑・罵倒しているかのような表現もありまして。
ならば、
「各云うオマエはどうだ?」
という声が出てきてもおかしくはないでしょう(ただし、聞いてもつまらないから無視しているだけかも)。
よろしい! 私の“案内”を見せてさしあげましょう。テーマは「料理」について。どこの図書館も多品種、多種類の本があって玉石混交。現場の人間からすれば“書架整理するだけで手一杯”だといえます。それだけに「相談」の潜在的ニーズは高い高い。

目的と手段を混同せぬこと

まず、最初のお題

料理が得意でなく、ご主人や姑さんからイヤミや不満の声ばかり聞かされている。なんとかして料理上手になりたい。

という新婚ほやほやの若奥様からの相談です。
あ、その前に
“たかが料理”
などとは思ったり、考えたりしないようにしてください。
“食い物の恨みは…”
ということわざまであるくらい重要ですし、じっさい料理のことで“離婚”にいたった事例も戸籍係から聞いているくらいです。
ここでは、目標を

  • なんとしても料理を完成させ
  • 家人に味わってもらい、喜ばれることで
  • 苦手意識を克服する

こととします。これが達成されなければ、その利用者さんにとっての図書館・司書は輝きを失います。
一般に司書の方々にとっては「読む」ことを目的にしてしまったり、あるいはヒドい司書(あ、オレか?)になれば「貸出し」を目的にしたりしてます。
ただし、実用書の場合は違います。今回の場合、料理書を読むことはご本人にとって手段であって目的ではない、ということをわすれてはなりません。
ま、加えて

  • (その料理書)所載の料理をつくることによって、基礎を学習でき、応用・発展をうながす

ことや、

  • 材料集めの段階から挫折することのないよう、入手しやすい素材でできること

も条件づけます。

自分の「イチオシ」を決める

これらの条件を満たすものとして、私が往々にして先発エースとして登板ささてきたのは、

おそうざいふう外国料理

おそうざいふう外国料理

ですね。
前にも書いたかもしれませんが、私の小学校高学年の愛読雑誌は祖母の「暮らしの手帖」でした(ちなみに、そのころ花森安治さんが亡くなると「面白くない」といって読むのをやめた。いやなガキだねぇ…)。それゆえ、同社の料理本の良心とか気配りを熟知しています。
原稿と写真ができると、料理上手でない社員にそれを見せて作らせる。見事完成させたらOKなのですが、NGの場合はとここん文章に手をいれ写真を取り直す、それをできるまでくりかえし、決定稿へともっていくのです。
ですから、失敗や挫折の可能性は少ない、これなら完成品を家族ともに味わい自信と意欲をもつことができるでしょう。
また、おまけによくできているのは「材料」に関すること。今でこそ大都市圏のスーパーには世界中から寄せられたあまたの食材がならんでいるしインターネット通販もあるから食材の入手に不都合ありません。
が、昔は、そして田舎では、いまなお食材が入手困難な場合もあるのです。
この本では、そうした入手困難であろう外国食材の「代用品」まで考慮しているには感心するしかありません。

時には変化球勝負も

先ほどの例が、先発からゲーム終了まで安心して任せられるエース級・本格派であるとしましょう。ただし、時としてとんでもない「変化球」が功をそうする場合もあります。たとえば、次の事例。

ご主人が最近食道がんで手術を受けた。医者からは流動食で栄養をとるよう指示されたものの、食欲が出ない。「再発」の心配と同時に、本人を元気づけるような流動食をつくりたい。

という熟年女性からの命題。
ごくフツーのありふれた図書館員なら「食餌療法」の本をすすめると思います。それはたしかに正しいのですが、相談者の抱える問題・悩みの回答としてふさわしいか疑問符がつきます。
「食餌療法」の類の本は、かつて私が「不健康コーナー」といったNDC490〜499の書架にあります。そこへ案内することは、ご本人の“再発への不安”とか“療養者”としてのネガな思い込みを助長します。少なくとも、手術が成功したのであれば、「健康人」として人生を歩んでほしい、と私は思います。
そのための「変化球」がこちら

あなたのために―いのちを支えるスープ

あなたのために―いのちを支えるスープ

なによりもタイトルがいいです。
この本の作者辰巳芳子さんが、お父様の看病のためにつくったというスープのレシピです。
ダシ・スープの採り方・活用法が系統的に解説されています。見るからに体に優しそうなメニューが並びます。
「重病を背負った家族にできるだけのことをしてあげたい」
という気持ちがあって、それをカタチにするための「料理」。

裏テク

ちなみに、本日紹介した本は新刊で買うとクッキング本としては「高価」な部類にはいります。
私は、その本の価格を告げ、改めて
「図書館無料の効能」
を説きました。
いや、ここまで来るとマルチ商法まがいですが…

あとはどう売り込むか

で、“推し本”が決まれば、あとはどうアピールするかということです。
国学図書館協議会から
という本が出ています。私はこの本のタイトル、「上から目線」が嫌いですが…

  • 短時間で
  • 手短に
  • 要点のみ

話して売り込みを図る、そこまでできて「一人前」でしょうか?
まぁ、上記の本2冊については「まえがき」を声に出して読み聞かせます。これ効果的。

紙々のたそがれ

まぁ、そのように「読書(本の)案内」に全力投球してきました。
それが「司書の専門性」かといえば、私は必ずしもそうではないだろうな、って思ったりもします。
なぜなら、それは「司書講習」という“司書に専門性を与えることを目的としているであろう講習”の中に出てくることではありませんでした。
図書館問題研究会とその影響の濃い日本図書館協会も、私のような立ちぶるまいを敵視こそすれ、まちがっても「評価」しようとする者はいなかったでしょう(唯一全国学図書館協議会だけ評価してくれましたが)。私はずっとひとりでした。一人だからカウンターで後先かえりみず全力投球できたのだと思います。
心情的にはマウンド(カウンター)には立ちたい、「読書(本の)案内」をさせれば、“まだまだ他の者には負けない”という自信はじゅうぶんにあります。
ただし、今日は料理の本を紹介しました。インターネットが旺盛で、知恵袋とか書評とかで容易に情報を直接入手できる時代になれば、うん、私はもう用はないのだな、と思わずにはいられないのです。
「老司書は死なず、ただ消え去るのみ…」

わたしのなつやすみ

おかげさまで、現在のテーマ「読書(本の)相談」が終わり、あと落ち穂ひろいでこのエントリも終着駅。先が見えてきました。
昨日はひさしぶりに「なつやすみ」を楽しんできました。
目指すは東京都美術館
そう、「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」、ってか「真珠の耳飾りの少女」を鑑賞に…

最近、“サ残オールデイズ”が続いていたので疲労もたまっており、グリーン車ではすっかりねむってしまい目が覚めると「ああ上野駅」。

公園口を出ると、いつもかわらずたたずむ「東京文化会館」。ずいぶん前、ウイーン国立歌劇場の引っ越し公演でカルロス・クライバーがR・シュトラウスの「ばらの騎士」を観たあの感激がいつもここに立つと思いだします。そういえば、オペラもしばらく観ていないなぁ。

真珠の耳飾りの少女」は、圧倒的な存在感でした。
思わずミュージアムショップにて、「図録」と

ミッフィーまで衝動買いしました。
きちんと耳飾りまでついているな、芸が細かいな…
などと思ってたら、
耳飾りにしては位置が違うじゃん
と、ようやく気づく始末。

さて、主にオランダを描いたと思われる風景画を目にしていたら、ワーグナーの「さまよえるオランダ人」がいっそう観たくなってしまいました。

「本の相談」はなぜ否定されたのかⅡ〜奉仕対象の異動「集団から個人へ」を巡って〜

とある事典の記述

前回エントリでは、「本の(読書)案内」について触れました。今回も自分の経験と重ねて考えてみたいと思います。
私は学校図書館勤務経験がありますが、埃をかぶったかなり昔の本が「現役」であることが学校図書館の良さ(?)でもあります。
書誌とか記述内容の詳細については忘れましたが、かなり昔の某問題研究会の図書館カンケー用語集で「読書案内」をひいたら、おそらく「読書指導」へ“をもみよ参照”で誘導されてしまい、その項目に“思想善導”などという言葉をつかったネガティブこのうえない解説に腰を抜かしたことがあります(このあたり記憶がおぼろげなのでまちがっていたらご指摘ください)。

“戦前の失敗の徹底的に検討”の成果?

そういえば、あまりにも有名な『中小都市における公共図書館の運営(中小レポート』

この本では、

大部分の図書館員は「神州不滅」は信じないまでも,世界情勢をしっかりと認識できていなかったようである。だから,戦前の失敗を徹底的に検討することもなく,古い図書館理念のまま,アメリカの「民主化」政策を受け入れなければならなかった。(p47)

と、あります。
たしかに戦前戦中において“皇国史観”“愛国心”とか“富国強兵”が叫ばれ、それは出版文化はもとより歌舞音曲(軍歌とか『愛国行進曲』など)にまで及びました。その中で図書館及び図書館員もそれらを受入ざるをえなかったし、疑問・異議を口にすることすらはばかられた、という経験から、そのような流れに警戒することは当然の成り行きでしょう。

プロパガンダ

ここで考えてみたいのが「プロパガンダ(propaganda)」。
今日的には

(個人・団体・運動・制度・国民などの弁護または誹謗ひぼうの目的で)流布された情報(話) デマ,うわさ,偽りのニュース*1

などと、どちらかといえばよくない語感・語義で語られています。
が、最初にプロパガンダと言う言葉を用いたのは、カトリック教会の布教聖省 (Congregatio de Propaganda Fide) の名称だそうです。「正」から「偽」、「聖」から「俗」へ、。あまりの変貌に驚かされます。
横道にそれましたが、プロパガンダの今日的意義では、
特に、ある政治的意図のもとに主義や思想を強調する宣伝。
をさします。宣伝なりキャンペーンなりは、不特定多数に対し同時多発的に行なうのが「効率的」です。まぁ、個人個人を相手に“祈伏する”ような行為を積み重ねる、という手法もありうるけれども、かなり面倒くさく時間と手間がかかります。
つまり、

  • マス・メディアなどを通じた活動なくしてプロパガンダは成立しない
  • マス・コミュニケーションの発達がプロパガンダをpropagare(繁殖させる)

このあたりを悪魔的といってもいいほど活用したのがナチスドイツのゲッペルス博士でしょう。

集団から個人へ〜図書館奉仕の変貌〜

ハナシをと公共図書館に戻しましょう。
前述の『中小都市における公共図書館の運営』
では、

これまでの図書館関係の調査は,大部分,集団から切離された個人を対象としすぎたきらいがあったと思う。(p73)

と指摘し、

(略)広く有効に図書館資料を市民の身近に提供しようとする場合,個々バラバラの人間を相手にするより,いろいろな形で集まっている団体をつかんだ方が有効であることはいうまでもない。(p74)

と、あります。

「中小レポート」と「市民の図書館」

図書館史においては、一連・セットで語られることが多い、「中小レポート」と『市民の図書館』

市民の図書館

市民の図書館

ですが、その内容にはかなりの違いがあります。主たる奉仕対象として、前者は「組織(=集団・団体)」を重視し、後者は「個人=市民」を重視しています。

  • 集団から個人へ

という、パラダイムをじゅうぶん理解していれば

という思想は本来でてくるはずもなかったわけです。
しかしながら、「中小レポート」から30年、『市民の図書館(初版)』から20年を経て、「読書(本の)案内」に対する反対論(前回エントリに書いたとおり1990年代)においては、そのような「過去の遺物」が出てくるはずは、まっとうにいえばありえないことです。
ただ、前回申し上げた

  • とにかくプライドが高く
  • その割には、実務経験が案外ない

うえに、今回のエントリでは

  • 図書館問題研究会というギルドの掟を優先し

と書き加えたると
「云うだけ司書」
のメンタリティーによるものであったと断言できますし、
“もはや戦後ではない”
時代での
“思想善道の見地からの反対意見”
とは、
“反対のための反対”
でしかない、いうなれば後付の“反対理由”であったと。
私はそう思います。

図書館問題研究会などの中のひとたちにしてみれば…

もっとも、図書館問題研究会とかの中の人たちにとっては、フツーの市民とは意識・価値観は大きく異なることも言及しなければなりません。
先述の「プロパガンダ」ですが、大戦後、特に顕著だったのは全世界的にはソビエト連邦をはじめとする共産圏の国々でした。国内では「左翼」とか「反核平和」「労働運動」など。いずれも図書館問題研究会の方々が好んだり親和性を感じたものです。
つまり、図書館問題研究会にとって「プロパガンダ」は身近な存在であったともいえます。

おまけ

武雄市の図書館問題で、再び注目を集める
「レコメンデーション」
です。
曲がりなりにも貸出履歴を利用として「サービス向上」を図ろうと“前向きな”武雄市に対して、それにかわる具体的なサービスを提示していない日本図書館協会は、正直傍目に見ても“分が悪い”ように思えます。
それも、個人情報などの問題を含め「読書(本の)案内」にマトモに向き合おうとしなかった、日本図書館協会とか図書館問題研究会などの「ツケ」がまわったような感じがしてなりません。

*1:ランダムハウス英和辞典より

「本の(読書)相談」は、なぜ「否定」されたのか

読書案内と強硬な反対論

あまりにも有名なこの本

図書館運動は何を残したか―図書館員の専門性

図書館運動は何を残したか―図書館員の専門性

その中で「読書案内」について、

1970年代の公立図書館では,多くの図書館で貸出を伸ばすことが第一の目標とされてきたため,本の案内(読書案内)やレファレンスサービスなどの専門的なサービスは,もっと職員体制が充実してから行なうものとして,後回しにされた。また,本の案内は貸出業務の中で行なわれなければならないという誤った考え方が広がっていた。したがって,司書が配置されている場合でも,読書案内やレファレンスサービスは十分行なわれてこなかった。この結果,司書の専門的職務は明らかにならなかった。(p23〜24)

私は幸せなことに、この本の著者による「図書館概論」を受講することができました。
この講義の中で、薬袋先生は「本の案内」についての持論を具体的かつ熱く語っておられたのは、いまだに忘れられない出来事です*1
で、この提唱は一部では受け止められ、
手にノコギリを持って重厚長大万里の長城のごときカウンターを分断する
例もあったようですが、全般的には先述の本で薬袋先生自身が

(前略)筆者による読書案内と図書館員の意識改革の問題提起があった。図問研*2は『みんなの図書館』で読書案内の特集を組み,検討のための委員会を設けたが,一部の会員から強硬な反対意見が出された。そのため、組織的な実践の取り組みは行なわれず,結果として図書館界全体における自由な議論,生産的な議論が妨げられた。

と、まとめられているように反対論が旺盛だったようです。
当時図書館界が、いかに硬直的・保守的・保身的で風通しが悪かったかがよくわかります。

「法」も「経典」もあったもんじゃない

ただ、やはりこのような結果には、正直腑に落ちないものを感じます。
ちなみに図書館法第三条第一項第三号には

三 図書館の職員が図書館資料について十分な知識を持ち、その利用のための相談に応ずるようにすること。

と、あります。
また、反対しそうな方々が「経典」のごとく崇め奉るところの

市民の図書館

市民の図書館

では、

利用者の図書選択を助け,利用者の要求と課題と図書を結びつける仕事が貸出し業務の重要な一部である。これが読書案内である(p60)

と、位置づけ、その重要性を強調しています。
「法」にも「経典」にも重要と位置づけられた「案内」は、なぜに反対されてしまったのか、実に不思議でなりません。気に入らんならガン無視すればいいだけのハナシなのになぜ「反対」が根強かったのか不思議でしょうがありません(当時の『みんなの図書館』をを読めばはっきりするとは思うが、それは私にとって不愉快な経験になると思うので、あえて追求しない)。

云うだけ司書

ここでは、とりあえずの理由として、
「云うだけ司書」
の存在が大きいのではないか、と仮定しておきます。
私の経験からは、各種団体で「役付き」とか「理論家」とされている方と接する限り、みな一様に失礼ながら

  1. とにかくプライドが高く
  2. その割には、実務経験が案外ない

ように、私には見受けられました。。
このような方々にとっては、失敗は許されない(と、ご自身では考えている)利用者コミュニケーションから距離を置こうとしたのではないでしょうか。
あるいは、皮肉なことをいえば「理論偏重」で「アタマでっかち」となり、日常の実践と理論とを結び付けようとはしないだけでなく、「専門性を高める活動」に打ち込む中で肝心のご自身の「専門性」が希薄になってしまったともいえます。
考えてみれば、日図協にしろ問題研究会にしろ、ギルド=同業者組合としての性格が強かったように思えます。これも「云うだけ司書」の「功績」でしょう。

ギルドとしての「図書館問題研究会」が恐れた「下克上」

ギルドといえば、かつて
図問研あらずんば司書にあらず」
という印象がありました。
私自身、図問研に属したのは最後の2〜3年にすぎませんでしたが、日本図書館協会(これは16年間在籍した)の地方組織は実態が図問研によって運営されていました。
日本図書館協会個人会員のつどい」が何回か行なわれたように聞いていますが、個人会員である私のところには14年間まったく音沙汰ありませんでした。
ギルドとは封建制の産物とされていますから、「民主化」とは無縁のことと肝に銘じておきます。
そのギルドたる図問研。その「親方」にあたる頭脳明晰な司書先輩方にとっても、「本の(読書)案内」で親方作品=masterpieceは生まれなかったということです。
ただし、前回エントリをご覧いただいた方々にとってはお分かりでしょうが、「本の(読書)案内」なるものは、
“ほんの一握りの勇気と問題意識”
があれば、たちまち上達するものです。
そのような“若者@匪図問研”が、メキメキ伸ばせば“ギルドの親方@図書館問題研究会”
にとって“脅威”であり“下克上”となっても不思議はないでしょう。ギルド制に“楽市楽座”など敵のようなものです。

とりあえずのまとめ

先ほど
図書館界は風通しが悪かった」
と書きましたが、公立図書館ならではの

  • 官僚制
  • ことなかれ主義
  • 職階制

に、わが国で顕著な

が加わる一方、横断的な組織としての

  • 図書館問題研究会のムラ的性格(もはや「ギルド」とも呼べない、とるにたりない集団)

が、複合した結果ではないのか、と思えます。

蛇足

とりあえず、経済学の徒としては、より社会科学的にこのあたりを追求しなければならないと思いました。
が、同時に(同じく)経済学徒としてのもうひとりの自分が、
「そんな、なんの儲けにもならんことせんほうがええ」
とささやいているのです…

*1:ちなみに、薬袋先生の講義を受けた方ならご存知であろうが、先生は講義に臨んで常に実に整然かつ秩序あるレジュメを用意した。それが“生理的に好かん”と言ってた知り合いは、某研究会でまったくもってオモシロおかしくない文章を書きまくっている。

*2:無責任男注:「図書館問題研究会」の略称

Overtake! 〜追い越される幸せ〜

Introduction

私が公民館報を編集する仕事について、その中で公民館と併設している図書館分館とそこで働く委託スタッフと接点ができ、

・私がチラ見した「ベストセラー」重視・偏重1
 http://d.hatena.ne.jp/hatekupo/20120520/1337516679

本館の正規司書による新刊「情報提供」「本の案内」のヒドさに呆れ、よせばいいのに「分館」のマネージャー@委託業者に記事のさしかえを「お願い」したことは、

・図書館員リクエストアワー
 http://d.hatena.ne.jp/hatekupo/20120605/1338901480

に書いたとおりです。
初回は、正直いってお世辞にもホメられた内容ではなかったから、相手から“評価・コメント”を求められたときには、
「サンキュー、サンキュー! ウエルダン、ウエルダン! ユーよくやりましたネェ」
と“激励”への“すりかえ”でゴマかしたのですが…
回数を重ねる(と、いっても3回目ですが…)たびに、「成長」に目を見張らされます。
その成長は原稿にとどまらないようです。傍目に見ても彼女は

  • これまでになく自信に満ちた表情でカウンターに立ち
  • 司書たる矜持と同時に、個々の利用者に「謙虚」「自然体」をもって対応し
  • おすすめコーナーやデコレーションも手掛ける

等々、枚挙にいとまがありません。

経験の長さだけでは育たないもの

私からかねてより、日本図書館協会とか問題研究会とかが
“専門性の蓄積”

“長い経験”
を必要としていることをイイワケにして「指定管理者制度」などを反対しているのを苦々しく思っていました。
豊富な経験の貴さを否定するつもりはありません。
「司書にとって本当に必要なものは何か?」
といえば、本人の心がまえとかモチベーション、自己研さんによるところが大きいと思いますが、「老害」は自分たちの“聖なる職場”としての図書館を、自己防衛・既得権護持の“世俗臭プラス加齢臭プンプンの職場”にかえてしまったからです。
まぁ、経験の長さとか蓄積は必要ですが、それをタレ流してきた人もずいぶんいたようですし、労働運動・専門性の確立に力を注ぐあまり実践とかをおろそかにしていた方々も(以下略)

図書イチ!

で、私と言えば、何もしちゃいないワケなんですよ。いちばん最初に

  • 利用者を「群」としてとらえるな、老若男女あらゆる人をそれぞれイメージする。
  • 次に、各階層とか職業・在学それぞれの方が、何に関心を寄せたり、問題意識を抱えていたりしているかを想像する。
  • そのためには、社会全体がどのような問題が重要視されたり、興味を惹いたりしているか、把握することも大切。

たったの3点ごくごく当たり前なことをいってだけ。
いま、彼女から助言だのコメントなどを頼まれても、私は
“自分にはもう語ることはない”
と、白状しなければならないでしょう(もっとも、熱く語ることは、正直イッパイあるけどね!)。
あとは、
“この図書(分)館じゃ、君がイチバン”
とつけくわえることくらい。
若い者が司書の屍たる私に追いつき、追い抜き、颯爽と進んでゆく。そんな光景を見ることができる、私のああ、なんと喜ぶべきことか!

「司祭」と「司書」は一字違い

あまりにお粗末なオチ

いや、前回のエントリ。最後のオチで失敗しましたね。

結局、「図書館員の専門性」よりも「書店のノウハウ」が優越した、という選択の問題でしょう。いいか悪いか別として…

これでは武雄市というごく局地的かつエキセントリックな「選択」のはずが「一般論」になってしまいます。
そこで、

結局、「図書館員の専門性」よりも「書店のノウハウ」が優越した、という武雄市長による選択の問題でしょう。いいか悪いか別として…

と、修正しておきました。

しかし、このエントリには脱帽だなぁ…

さて、このブログを終えるにあたって、
私的「図書館史」
をまとめたいと日々考えていたことですが…

国民国家ナショナリズム・図書館(みちくさのみち2012-06-25)
http://d.hatena.ne.jp/negadaikon/searchdiary?word=%2A%5B%BB%D7%C1%DB%BB%CB%5D

は、実によいエントリでつくづく感心しました。
私が得意とする「唯物史観」まで言及するとは、芸が細かい、というより感心するほかありません。ってか
「先を越された!」
感もあります。

比較宗教的に路線変更?

しかし、これらのエントリの続々登場で、拙者の出番がなくなる、というのは早計でしょう。
むしろ、「図書館史」について、先様の方が正統・ストレートに威風堂々と正面から取り組めば、それだけ搦め手からつけ入るスキが出てくるからです。非正規戦(「ゲリラ戦」のこと「労働ウンドー」にあらず)・場外乱闘、なんでもあり。
いま、ルターの「天職〜職業召命説」と司書職について考えています。
それにしても、「司祭」と「司書」は一字違いですね。
そういえば、この二つは類似性があります

  • 悩める者=市民のために
  • 聖書(文献)の中から役立つ箇所を見つけ出し=検索し
  • それを説く=提示・提供することで
  • 救いの道(問題解決の道筋)をさししめす

ただの「一字ちがい」のハナシですけど…

武雄市の新・図書館構想が可視化した日本図書館協会の限界と司書の専門性

注)6月25日修正しました。最後の赤字の部分です。

迅速な、あまりに迅速な

かねてより話題の武雄市の新・図書館構想について、社団法人日本図書館協会から声明

武雄市の新・図書館構想について 社団法人日本図書館協会(2012-5-28)
http://www.jla.or.jp/demand/tabid/78/Default.aspx?itemid=1487

が発表されています・
 
社団法人日本図書館協会のあまりにすばやい対応に、正直おどろきました。
 過去、図書館の自由と委託の問題について、より重要かつ深刻な事例としては、「岡崎事件」があります。このブログ来訪者には言わずもがなの出来事ですが、公立図書館が一市民を逮捕させ、文字どおり「自由」を拘束せしめるとともに、委託先業者の「個人情報」が流出した、まさに図書館界の大伽藍をゆるがす一大事であったのですが…
 この事件について、日本図書館協会のとったアクションといえば…

岡崎市の図書館システムをめぐる事件について(日本図書館協会図書館の自由委員会)
http://www.jla.or.jp/portals/0/html/jiyu/okazaki201103.html

かなり時間が経過してからのこと。しかも「声明」は“日本図書館協会 図書館の自由委員会”によるもの。日本図書館協会の委員会のうちの一つが出されたものにすぎません。
 それに対し、今回の「声明」は、日本図書館協会の公式見解・声明ですから、明らかに格が違います。
 さて、その内容ですが

1 指定管理者制度導入の理由は何か
2 指定管理者制度導入の手続きについて
3 図書館サービスと「付属事業」について
4 安定的な労働環境
5 図書館利用の情報
6 図書館利用へのポイント付与

という構成になっています。
 正直1〜4までの項目については、
「またか!」
という印象をぬぐえないのですが、とりあえず読んでみようと思いました。

1 指定管理者制度導入の理由は何か

指定管理者に委ねることによって、図書館設置の目的が効果的に達成できることを示さなければなりません。図書館サービスと管理運営の現状を分析し、克服すべき課題を明確にし、その解決のためには指定管理者に委ねることが欠かせない、必要であることを明らかにすべきです。「骨子」には、"CCCが運営する書店のコンセプト及びノウハウを導入"とあり、「9つの市民価値」には"20万冊の知に出会える場所""蔦屋書店のノウハウを活用した品揃えやサービスの導入"と抽象的です。図書館サービスに直接言及した改善点が希薄であり、明確ではありません。

ふむふむ。この意見をハタから眺めると実にバカバカしいような気がします。
一言でいえば、
「目には目を、抽象的には抽象的を」
ということでしょうか。
 とりあえず、拘泥しても仕方ない、次行きましょう、次!

2 指定管理者制度導入の手続きについて

 指定管理者制度の導入についての行政手続き上の技術論ですね。まぁ、アドバルーンをあげてから議会で審議するのは、とりあえず民主的な手順を踏んでいるワケです。
むしろ、教育行政の見地からみれば、
憲法教育基本法>社会教育法>図書館法
という法的・行政的位置づけの中で、教育の平等・機会均等を図るための教育委員会制度について言及し、
教育委員会の軽視」
を指摘すべきだったでしょうね。

3 図書館サービスと「付属事業」について

 "重要な手段として展開する付属事業"を色濃く出すものとなっております。図書館の基本的サービスとは無関係のことであり、指定管理者制度導入の理由にはなりません。

 このあたりが、どう贔屓目に見ても説得力に欠けます。そもそも、指定管理者制度のねらいは「効率化」だけではなく、民間のノウハウを活用することにあるとされます。“指定管理者憎し”というお気持ちはわかりますが、そもそもこの点を日本図書館協会はまったくわかっていない、というより自分たちに都合のいいような解釈をしているのです。
民間企業が創る付加価値(value added)を活用するとの点について、例の市長さんは(言葉遣いはともかく)、実に
総務省に忠実”
であるといえます。
雑誌販売や文具販売についての意義とか妥当性については、次の「安定的な労働環境」の部分でふれましょう。

4 安定的な労働環境

 開館日・開館時間は現行の約1.6倍になるようです。そのために必要な人員も相当増加するものと思われますが、経費は現行1億4,500万円を1割削減できると説明されています。
当協会は指定管理者制度導入の実態調査から、経費削減により図書館で働く人たちの賃金等労働条件に安定性を欠く事態を招くことを問題点のひとつとして挙げてきました。安心して継続的に業務に専念できなくなる結果、司書の専門性の蓄積、一貫した方針のもとに継続して実施する所蔵資料のコレクション形成が困難になることの懸念です。利用者サービスの低下に繋がらないための労働環境が必要です。

 例によっての、労働問題ですか。
「指定管理者にすると労働条件が悪くなる」
とか、
「司書の専門性の蓄積が失われる」
というのは、正直聞き飽きましたけど、一応申し述べておきます。
 「指定管理者にすると労働条件が悪くなる」ということですが、これは直営の「官製ワーキングプア問題」、すなわち非正規職員の低賃金・低待遇の現状を無視しています。
 「司書の専門性の蓄積」についても同じ。直営職場において非正規職員に“雇い止め”が制度化され同一人が継続して一定の期間以上勤務=雇用できないという現状があります。
 図書館員の待遇は官民とも共通の課題であって、指定管理者に限定したトピックスではない。本当に日本図書館協会が、待遇問題と正面から対峙する気概があるならば、もっと以前から「雇い止め」「官製ワーキングプア」制度改善の『見解・要望』を出して主張すべきのこと。それくらいのことができないで、武雄という一自治体の指定管理者問題に固執するのは、所詮
“指定管理者反対のための反対”
がバレバレです。
 さて、先ほど出てきた“雑誌・文具販売”のこと。いまや美術館等では“ミュージアムショップ”が人気を呼び、来館者にも喜ばれています。
いまや地方自治体はいずれも財政は“火の車”状態。学生が学資かせぎにバイトするのと同様に、同様に“本来業務に支障をきたさない範囲での副業”は許されるべきです。まして、それが利用者にとっても歓迎されるものであれば、なおさらのことです。

5 図書館利用の情報

 本来この問題が一番の「論点」であったはずです。
これについては、他の識者の皆様方が各々まっとうな意見を述べておられますので、二つだけ…
『声明』では、例によって『図書館の自由に関する宣言』という自分たちだけのルールによる反対論を展開しています。これは“法治主義”から、かけ離れているだけでなく、傍目からすると
日本図書館協会という圧力団体が地方自治体の教育運営に口を出す”
構図になっています(まぁ、本人たちもそのつもりでやっているのでしょうが…)。これは地方自治の本旨とか独立性・自主自立性からいえば、いただけません。
 次は、言及(追及)すべきことがスッポリ抜けているということ。たとえば、「個人情報」の問題について、武雄の図書館が指定管理者に委ねられることで、指定管理者たるCCCは「市長」の監督責任下におかれます。その個人情報=図書館利用者個人情報は“指揮・保護・監督・管理など”の名目で、完璧に市長さんのコントロールにおかれるわけです。
 これが、民主的な地方自治の本旨の実現に危惧を感じ…ってそんなわけありませんよ。公職選挙法という、民主的な手続きをへて就任された市長さんですから…ね!

6 図書館利用へのポイント付与

このあたりの記述も、クビを傾げざるをえないのです。

図書館は他の施設と異なり収益が伴わないものであり、指定管理者の収入は専ら自治体からの委託料のみのはずです。

かなり意味不明。ポイントは「付与」するものであって「徴収」するものではありません。ポイントの付与は“指定管理者の収入”ではなく“もちだし=支出”になる、ということです。
世の中にタダより高いものはない、といいますが、“持ち出し”をする以上、受託者は何らかの“見返り”がなければ“うまみ”がないのです。その“見返り”に相当する部分が“利用情報”なのでしょうか。とすれば、図書館の利用が一部企業のみで活用される、ということでは、不法とはいえないものの「平等な行政」という観点で疑問符がつきます。

まとめ

 私は以前のエントリ

・CCCと武雄市図書館の提携を前向きに考えると、どうやら最強の貸出至上図書館ができそうだ。
http://d.hatena.ne.jp/hatekupo/20120511/1336744405

において、
Tカード、Tポイントの導入以外、目新しいものは特にない
と述べました。
が、それに対する日本図書館協会の見解もまた
「目新しいものは特にない」
ということでしたね。

おまけ

 冒頭の“蔦谷書店代官山店のノウハウ”についてです。
“ノウハウ”とは、“秘訣”とか“コツ”という言葉に置き換えられます。
 本来“ノウハウ”とは“手続き的知識”のことで、おもに製造業などで用いられる言葉のはずです。
 今回面白いのは、本来なら“テクニック”などで表現すべき“蔦谷書店代官山店”の経験とか知見を“ノウハウ”と表現していることです。
 まぁ、秘伝とかコツは、
おおよそ体系化されていない学習であり
個々人が体験とかキャリアの蓄積で会得する
概念です。それが「蔦谷書店代官山店」にはあって、公立図書館には存在しないといっているのに等しい、これは笑えます。
 そういえば、
「図書館員は本と人を相手にする仕事なため、本と人を知り、さらにはそれらに謙虚でなければならない。」
と、どこかで教えられた気がします。ここでの“図書館員”を“書店員”に置き換えても立派に通用します。
図書館司書が本当に
「本を知り人を知り本と人とを結びつける」
能力を会得していたとなれば、「司書」の資格者は書店でも、求人や待遇の面で“優遇”され、力を発揮したとしても当然でありましょう。
結局、「図書館員の専門性」よりも「書店のノウハウ」が優越した、という武雄市長による選択の問題でしょう。いいか悪いか別として…